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トイレで食事!?(枠3‐しばり) [草の根的メディエーションのつぼ]

(さらに続きです)最近の学生さんの中には学食で昼食を1人で食べることができない人がいるとか。 誰にも見られないようにトイレで食べたりするのだそうです!!!  あの人お昼食べないのかな~、お腹が空かないのかしら、と思っていると実はその人は“占有個室”で何かしら口に入れて空腹を満たしていた、というような感じでしょうか。 「トイレが汚いとかよりも、一緒に食べる友達がいないと思われるのが嫌」なんだそうです。一緒に食べる友達がいないことは・・・恥ずかしいこと、 駄目な人間、という文化が学生さん達の間でできているようです。 

一体どこでそのような「枠(縛り?固定概念?)」が作られたのでしょう?幼少期から“個性的”だった私は、ずっと「駄目」レッテルを貼られてきたのですが(誰に?・・・まぁまぁ)、良い子の皆さんだって、「それじゃぁ駄目」だの「そんなのは恥ずかしい」とか、あまりに頻繁に普通に使われるので意識していないくらい耳にしているし、自分でも言っていると思うんですけど、どうでしょう? 試しに是非意識してみてください。

臨機応変(枠2) [草の根的メディエーションのつぼ]

(前の記事の続きです) 日本人は枠をはめるのが好き・・・なわけではないかもしれませんが、日本ほど枠をはめて自らを縛っている社会は他にはそうはないのでは、とずっと思っていました。 多分、過去の終身雇用だの永久就職(女性にとっての結婚)だので生活が保障され安定した時代には、枠をはめて「みんな一緒で一つ」であることが生きやすかったのだと思います。(私には息苦しかったですが。)  ところが、ここへきて社会情勢は大きく変わり、個性や自立を求められ自己責任を問われるようになる一方で、人々の意識はその変化に付いていかず、引き続き大して重要とも思えない枠や理不尽な枠で自分の心や暮らしを縛り、ひたすら辛抱しようとするのだけれど、流石に息き苦しくなってきて大なり小なりの支障が表面化してきている、と思えます。

 話がちょっと逸れてしまいました。言いたかったのは、メディエーションでは遠慮なく枠をはずすべきであろうということです。 APMFで習い納得したメディエーションの要点の一つに「メディエーションには紋切形はない」というのがあります。確かに基本は大事で決して無視するべきではないのですが・・・、ですが、考えてみると、何故メディエーションなのか?の答えは、メディエーション手法が争う人々の関係を“敵対から共存へ”という持続する平和的な関係へと改善でき得るから、ですよね? みんなができるだけ気持ちよく暮らせるように、そのために納得のいく話し合いの場を作り合意を目指す、その目的のためにメディエーションがある、ということで、メディエーションという形(枠)が有って、そこに自分や当事者さんをはめ込むのではない、ということなんです。 だから、個々のケースの対応はメディエーションの基本姿勢をしっかり踏まえた上で、臨機応変、ケース・バイ・ケースであろう、と。  

枠を外す [草の根的メディエーションのつぼ]

メディエーションの特徴(の一つ)は、何か問題が起きて行き止まり"デッドエンド"になってしまったときに、今までと同じでは今までと同じ結果しか得られない、つまり解決できない。何かまったく新しい発想が必要、ということで、とにかく今までの枠に囚われない思考の柔軟性が要求されることだと理解しています。 なのでメディエーターのトレーニングにはブレィン・ストーミングが含まれる、と。 もしも、今、士業の方にメディエーションの理解と実践に苦しんでいらっしゃる状況がお有りならば、原因の一つはその目には見えない枠の存在かもしれないと憶測しています。 メディエーションが私の天職だと思える理由の一つは、小さい頃から「変わっている」だの「常識というものがない」だの言われた私には最初から「枠」というものがなかったようだし、「枠にはめられる」ことを極端に嫌ってきたので、努力しなくても「枠に囚われない」という状態をイメージできることです。(「思い込み」は多々ありますが・・・。)

日本社会がかもし出す枠の強靭さは相当なものです。どんなに「変わっている」私でも、そう簡単に突き破ることはできないので、やっぱり普通に空気を読む事なども学んでいます(・・・まだまだ修行が足りていないようですが)。


定例勉強会 [「草の根」活動]

4月の定例勉強会は25日八王子市民活動支援センター(http://www.shiencenter-hachioji.org/about/access.html)に決まりました。

1:30(3:30)勉強会 (引き続き~4:30位まで会員ミーティング) 草の根的メディエーター/相談員養成を踏まえて実際のメディエーションに沿った流れで進めようと思います。その都度、気をつけたいことや必要なスキルについて話合い、ワークを組み込みます。今度の25日は最初の最初「相談を受ける(まずお話を伺う)- 信頼を得る」ところから始めます。ワークはメディエーション的傾聴。非会員の方は申し訳ありませんが参加費¥300をいただきます。

5月の勉強会も第4日曜日午後の予定です。参加いただける際は事前に連絡いただけるとうれしいです。左のリンク草の根メディエーションの会のホームページから、もしくはこの記事へのコメンントでアクセスお願いいたします。

草の根の会の勉強会は基本となるコンセプト(プロセス)重視で進めたいと考えています。メディエーションの和解支援手法はそのプロセスに大きな意味があります。そのプロセス故に、例え合意に至らなくても、話し合いに至らなくても・・・もっと言うと、争わなくても気持ちを整理する方法があると関係者さんが知るだけでも、関係改善の何らかのきっかけになると強く感じています。そして、和解はその延長線上にある、と。そのプロセス故にメディエーターになるためのトレーニングが個人的にも日々の暮らしの中で役に立つ、と言えます。「今日の当事者は明日のメディエーター」「わだかまりのない日々の暮らしのためにあなたもメディエーター」とキャッチを付ける所以でもあります。


宇宙飛行士を妻に持つと [徒然・・・]

日本人初の女性宇宙飛行士の山崎直子さん、すごいですね。宇宙飛行士の訓練の様子をテレビで見たことがあります。“タイムショック”の何とかスピンどころではないグルグル回転・・・とか、垂直に立って一回転しただけで目が回る私には、何食わぬ顔でスマイルしている山崎直子さんはひたすら驚異です。日本人の男女が、今、宇宙生活を実体験、研究しているんだ、と空を見上げて思いをめぐらせます。人はいよいよ宇宙に繰り出すのでしょうか。 “今度の週末は1025番星公園に花見よ”なんていう会話をするようになるのでしょうか。 地球がぼろぼろになって脱出しなくてはいけなくなる・・・というシナリオも有りでしょうか?ところで、直子さんを支える彼女の夫さんは、管制官になるという夢とキャリアを直子さんのために諦めて渡米し、子育て主夫をしているとか。 自分のキャリアを優先してきた妻とのかかわりで、家族の在り方に疑問を感じながら葛藤する日々の暮らし、妻の何気ない一言で、張り詰めていた糸が切れて離婚を決意、1人日本に帰ったこともあった、とテレビ番組で話す夫さんに番組のコメンテーターの男性陣はいたく同情し、感動もしたようでした。夫さんの辛かった気持ち、よ~くわかる女性はたくさんいるのではないでしょうか。日本人を夫に持つ妻の中には、その夫さんと同じように主婦となる選択をせざるを得なく、満たされない気持ちを抱えながら子供のためにと我慢する人がたくさんいます。これで少しか妻の気持ちがわかってもらえるようになったらうれしいです。わかってもらえたら塾年離婚も減るかもしれません。

新潟訪問 [その他]

「ADRな日々」さんを訪ねて金土日と新潟に行ってきました。幸い天候に恵まれ暖かかった金曜日は新潟市の港へ。駅から観光循環バス犬夜叉号で目的地に。「犬夜叉」は娘が大好きだった(私も好きだった)マンガでいきなり歓迎されたような気分です。目的地は高層ビル「朱鷺メッセ」。お菓子メーカーがスポンサーになっているらしいそのビルの最上階はパノラマ展望室になっています。無料です!そこから見渡せる景色、始めて見た佐渡島、思っていたのよりずっと大きかったです。佐渡島というと水戸黄門などの時代劇に出てくる金山しか思い描けない私です。雪を被った山つまりそれほどに高い山があるのも意外でした。その同じビルには美術館もあり「花鳥風月」美しい日本画も楽しみました。

新潟というと、半世紀ほど前まだ飛行機が庶民の乗り物ではなかった頃、西洋に旅することに憧れた若者にとってパリやロンドンへ向かう玄関口の一つでした。新潟からウラジオストック(ハバロフスク?)に渡り、シベリア鉄道に乗り一週間、ロシアを横切り西側に着くという旅にロマンを感じたものです。

「朱鷺メッセ」と川を挟んで向かい側に歴史博物館があります。その博物館に行くのに川を渡る水上シャトルバスサービスがあると知りました。折角だから船に乗りたい・・・。乗り場の辺りに着いてきょろきょろしていたら、「乗るの?」「え?ハイ・・・」「乗せてあげて!」近くにいたおばあさんが叫びました。え?え? 船はもうロープを外し岸から離れつつあったのですが、叫んでくれたおばあさんはその口ぶりから乗組員さんの知りあいなのか、それともただ親切だった土地の人なのか、とにかく船は戻ってくれて私を乗せてくれました。なんだかうれしくて何度も何度も「ありがとうございます」を繰り返しました。東京ではすっかり見られなくなったシーンです。

歴史博物館では砂地の上にできた新潟の苦難の歴史や近代交易で栄えた様子などが紹介されて面白かったです。夜はSさんが小奇麗な料理屋さんに案内してくださり美味しい夕食とメディエーション談義を楽しみました。

 

土曜日は弥彦神社に弥彦山。上りはロープウエィで。この日も良い天気で、頂上からのパノラマビューは素晴らしく、暖かい日差しを受けて気持ち良くていつまでもぼーっと眺めていたかった。山にはところどころまだ雪が溶けきらずに残っていましたが、陽だまりに咲いている雪割り草やカタクリの花を楽しみながら歩いて降りました。結構きつい山道で最後の方では足がガクガク・・・でも、大丈夫。そのあとはSさんが洒落た温泉へ連れていってくれました。ワイナリーを併設していてちょっとセレブなスパでした。すっかり寛いで、帰りましょうと外の暗闇にでると、何と花火が! 視界を遮るものは何もない平野の夜空に普通に大玉の花火がド~ンと打ち上げられて・・・とことんラッキーな私でした。

新潟訪問の締めは日曜日、新潟中のダンス愛好家が集まってメダルテスト大会。Sさんはスーパーファイナル級に挑戦。Sさんはモダン種目で長いスカートが優雅に揺れて、華麗に踊っていらっしゃいました。私もステップを踏みたい気持ちになりましたが、前日の弥彦山下りで脹脛が・・・イタタタタ。

この週末は盛りだくさんの素晴らしい休暇となりました。何よりも、苦戦しながらも果敢に新しい取り組みに挑んでいらっしゃるSさんとゆっくりお話できたのが良かったです。Sさん、ほんとうにありがとうございました。

 


自然を身近に [その他]

IT音痴の私、このブログもひたすら文章を書くことだけで今日まできました。「ADRな日々」さんのように写真を入れたいのだけれどうまくできず諦めていました。最近になって“コピー・貼り付”の術だけでは足りず、“ファイル”というのを使うんだと知りました。今度ためしてみることにします。

一つ前の記事に、ウグイスのu-tubeサイト(アドレス)を貼り付けました。取ってつけただけで、あまりカッコ良くないな~と思いながらも、皆さんにも日本の春をお届けしたくて入れました。

 

以前、雨水利用自動潅水プランターなるものを作ってもらってバルコニーに置いていると記事に書きましたが、水のエコ利用推進を説くそのNPOさんから利用者の声を聞かせて欲しいと依頼がありました。エコライフについての私の思いも、ということで書き綴ったのですが、あらためて“「人は生きもの」で「生きている自然」無しでは生きられない、文明が自然を追いやる形で発達したところで人の有り方も不自然になり、息(生き)苦しい世の中となってきた”と感じています。どんなことを書いたかは、また後ほど記事にすることにして、取りあえず、普段自然に縁がない方に自然を身近に感じて欲しいと思いました。


春がきた [その他]

都心に比べて気温が2度低いと言われる我が街でもやっと桜満開となりました。昨日は市役所に21年度の助成金事業結果報告の書類を届けた帰り、川沿いに花見をしながら家に帰りました。一斉に花が開いたせいか去年よりずっと圧巻でファンタジーでした。あの淡いピンクが何とも言えません。夕刻からは他の街(調布の野川)の花見をして、今日も、また花見の予定だったけれど生憎の雨。雨の日の桜もまた乙だけれど寒いのはちょっと・・・。

もう一つの春の訪れを告げてくれるのは・・・ホ~ホケキョ。ウグイスです。まだ遠慮がちに鳴いている声が聞こえてきます。やっぱりもう少し暖かくなってくれないと、ねっ、ウグイスさん。 

http://www.youtube.com/watch?v=zfmraoicGKY


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