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臨機応変(枠2) [草の根的メディエーションのつぼ]

(前の記事の続きです) 日本人は枠をはめるのが好き・・・なわけではないかもしれませんが、日本ほど枠をはめて自らを縛っている社会は他にはそうはないのでは、とずっと思っていました。 多分、過去の終身雇用だの永久就職(女性にとっての結婚)だので生活が保障され安定した時代には、枠をはめて「みんな一緒で一つ」であることが生きやすかったのだと思います。(私には息苦しかったですが。)  ところが、ここへきて社会情勢は大きく変わり、個性や自立を求められ自己責任を問われるようになる一方で、人々の意識はその変化に付いていかず、引き続き大して重要とも思えない枠や理不尽な枠で自分の心や暮らしを縛り、ひたすら辛抱しようとするのだけれど、流石に息き苦しくなってきて大なり小なりの支障が表面化してきている、と思えます。

 話がちょっと逸れてしまいました。言いたかったのは、メディエーションでは遠慮なく枠をはずすべきであろうということです。 APMFで習い納得したメディエーションの要点の一つに「メディエーションには紋切形はない」というのがあります。確かに基本は大事で決して無視するべきではないのですが・・・、ですが、考えてみると、何故メディエーションなのか?の答えは、メディエーション手法が争う人々の関係を“敵対から共存へ”という持続する平和的な関係へと改善でき得るから、ですよね? みんなができるだけ気持ちよく暮らせるように、そのために納得のいく話し合いの場を作り合意を目指す、その目的のためにメディエーションがある、ということで、メディエーションという形(枠)が有って、そこに自分や当事者さんをはめ込むのではない、ということなんです。 だから、個々のケースの対応はメディエーションの基本姿勢をしっかり踏まえた上で、臨機応変、ケース・バイ・ケースであろう、と。  
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