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子供ぴあ・め(1回目の2) [子供ぴあ・め]

IBを兼ねた自己紹介で、「好きな言葉・嫌いな言葉」を聞き合ってもらいました。「嫌いな言葉」で「死ね」というのが多くありました。子供達の間で口にされることが多いようです。話し合う場になると避けるようにその場を離れる子供達が結構いるとか、その日も女の子達がたくさん出て行ってしまいました。“またその話、言うことはわかってる”・・・私的には、大人達の「命は大切だ」系の説教めいた話にもう飽きあきしているのではないか、と感じています。「大人の話は薄っぺらで上辺だけ」と見抜かれているのではないでしょうか? 子供は大人の背中をよく見ています。

草の根的には、子供ぴあ・めワークショップを通して、子供達に
なぜ人に「死ね」というのか考えてみてもらいたい。「言われた人」や「言われている人」は「何故自分が言われるの? 自分に価値がない、と言われているように感じる」と思います。問題は「言われる人」にあるんじゃなくて、むしろ「言う人」に深刻な事情があること、その人が内に抱える苦しみを「死ね」と言う言葉に置き換えて吐き出していること、そのあたりを理解することができれば、言われても重たく背負わなくてもよくて、気持ちが楽になるし、その反映(reflection)で言う人も減るのでは・・・、 ・・・減って欲しいと願っています。

子供ぴあ・め(1回目の1) [子供ぴあ・め]

一回目の報告をしていなかったようです。順序が逆ですが、今日は1回目の報告その1です。

 持ち時間ほぼ1時間の前半、近くの大学の学生さん達に役者になってもらい、寸劇「有る朝のできごと」A太とB介のいさかい、を見てもらいました。学生さん達がとてもよく協力してくださり、年齢的にも圧倒的に子供達に近くて、私的にはとても良かったです。ところが、後半、子供達に2グループに分かれてもらい、「どんな気持ち?どうしたらいい?何ができる?」の話し合いに移ってからがちょっと・・・。「できごと」とは些細なことで口喧嘩が始まりA太のシャツがB介に引っ張られて破れる・・・という事件です。 

多々あった反省点・改善点を大まかにまとめるなら、

些細ないざこざで破れてしまったA太のシャツについて、A太にとっては「ボロくても大切なシャツ。お母さんに怒られる。」だったのに、講師(私)の個人的な事情、劇に使ったシャツは「雑巾にするつもりだったシャツなので、どうなってもいい」の思いがワークショップに入り混じって子供達に伝わってしまったこと。つまり、キーとなるA太の『気持ち』をなおざりにした事。「A太の『気持ち』を汲みあげて何ができるか」の言葉かけをしてから、オプションの自由発想に繋げるとベストでした。

協力してもらった方々に事前にメディエーションについてちゃんと理解してもらう事をしなかった・・・事前打ち合わせが間に合っていなかった。 

今回の反省を次回の機会に繋げていきたい・・・繋げていける機会がありますように。 


子供ぴあ・め [子供ぴあ・め]

子供ぴあ・め(peer mediation)ワークショップ2回目やりました。テーマはブレイン・ストーミング。一回目の「紹介編」は反省点改善点多々ありでした。今回の参加者は前回に比べかなり少数だったけれど、草の根的ワークショップにはなったかな~・・・。自分を自由に解放してもらうのが目的の「お絵かき」を楽しんでもらえたようです。良かったです。用意したシート全部に描いてくれました。たくさん来ても困らないようにとたくさん持っていって良かったです。 

いつもしわ寄せを受けるのは弱者。特に将来を担ってくれるはずの子供達が置かれている状況には深刻なものがあります。心を閉ざすどころではなくて誰も入って来ないように「しっかり戸締り」しているように見えました。ここでも、メディエーションの本題に入る前に自己認知、自己肯定(self-esteem, assertiveness)の必要性を切に感じました。大人に比べ、そのガラスの心は遙かに薄く、すでにひびが入りまくっている、今にも粉々に砕け散りそうな子供たちに、どう手を差し伸べるのか、とても難しいですが取り組まなければいけない重要な課題です。

子供たちに「家族や友達、ご近所さん、本来ならお互いに大切に思うような関係の人達が、何故かけんかに・・・、憎しみあう・・・、そういう人々の争いの間に入り、また良い関係に戻れるようお手伝いをする仕事、市民活動をしている」と自己紹介しました。我ながら,はっと気がつくものがありました。

人々の内面に押し込められてきたストレスや心の叫びが病んだ状態で表面に浮上しつつある今、虐待行為に走る親、人との直接的な接触を避けて引きこもる若者など、人との関わりで問題を抱えている人達に、問題にいち早く気が付くはずであろう人々(市民)の意識に、もっと強く働きかけるような活動が必要だ、とずっと自分が思っていた、ということにです。

本当なら愛おしみあう関係の親と子。親は子供を虐待し、子供は親を憎む、その憎しみは歪んだ形で、自分または他者(社会)に向けられるようになる・・・。本当に悲しいことです。「良い関係を取り戻してほしい・・・」そこに私の草の根的メディエーション活動の原点がありました。


ALT(英語補助教員) [子供ぴあ・め]

ALT(英語の補助教員):40人クラスの元気な子供たちを相手に、1日4クラス。1年に均すと1か月に2日ほどの出番なので引き受けましたが、ちょっと軽く考えていました。事前打ち合わせがほとんどないままスタートしたので、4クラス終わると暫し放心状態です。今のところ、どのクラスでも歓迎されたのはうれしかったですし、ぴあ・め的に色々なことが見えてきそうで興味もそそられます。一人一人に向き合うと途端に元気がなくなり消え入るような声になる子供が多かったのは「言わせてもらえない/言えない/言わない」がすでに身についてしまっているということでしょうか・・・気になりました。先生たちの願いは“子供たちに英語嫌いになって欲しくない”。 なんとか楽しいものにしようと頑張っていらっしゃいます。

私の願いは、“独りでも大きな声で(私の耳にしっかり聞こえるように)ものが言えるようになって欲しい”。 英語のクラスを介してアサーティブなコミュニケーションを知って欲しい。 “例え一言でもあなたと向き合い話をしたい大人が少なくともここに1人はいるのよ”のメッセージを毎回送りたい。

 今までに読んだ子供のピア・メディエーション関連の事例記事で必ず出てくるのが、「子供たちはそれまでちゃんと話を聞いてもらうことがなかった」 。  この厳しい社会情勢で、家でも、学校でも大人は忙し過ぎて、子供たち一人一人としっかり向き合う余裕を持つのは難しくなっています。先生たちは、それはそれは頑張っていらっしゃいます。ですが、クラスに40人では多過ぎです。巷では2度目の政権交代などと話題になっていますが、教育現場でのニーズに答える画期的なチェンジはいつになるのでしょう。

 


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