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バンコクAPMF [旅先での・・・(海外)]

APMFLF(アジア太平洋メディエーション・フォーラム実務会議)に参加

洪水で今回もキャンセルかと高を括っていたら、実施されました。今回の会場は大学ではなくホテルで4日間缶詰でした。5つ星の超高級ホテルです。日本人の私にとっては、特別割引と円高のお陰で、バンコク市内を見下ろす部屋に泊り優雅なプチ・セレブ経験でした。ホテルは主要交通水路でもある川に面していていました。他にも数件の高層高級ホテルが建っていました。ホテル専用の船着き場の隣には地域の船着き場があり、“一般庶民”の空気も少しだけ吸ってきました。今回は、人々の暮らしに触れられる時間はないだろうの思い込み他の事情でカメラを持っていかなかったのは後悔でした。 

一般庶民の空気:朝と夕方には船は行きかう人々で満杯でした。その船着き場から陸上の主要道路までを繋ぐ、人が23人並んで歩ける位の幅の長い路地があり、そこは、いわゆるショッピング・アーケードになっていました。洪水の影響はまだ残っていてその小道には簀子が敷かれ、船着き場近くでは水が残っていました。一坪ちょっと(2mx3m)程の箱型の簡易店舗で洋服屋、靴屋、バッグ屋・・・生活衣料雑貨屋さんがいくつもいくつも連なっていました。値段も質も日本人の私から見ると格安でした。 

ホテルの部屋からアーケードを覆う長~いトタンの屋根を見下ろしながら、やっぱりこの格差は行き過ぎではないか、と感じながらも快適で優雅な部屋でNHKの衛星放送を見ながら寛ぐ私。やっていた番組は、“坂の上の雲:成せばなるで押し通すロシア軍との攻防戦”を見たあとに “老いていく太平洋戦争体験者の記憶の記録を残す:多くの部下や人々に戦死や自決を余儀なくさせた元指揮官の苦悩。彼はそんな自分に「楽しむ」「(結婚や祭などを)祝う」資格はないと出かけることをしない”・・・そう、この記録は残さないといけない・・・。


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アデレード ラスト [旅先での・・・(海外)]

アランの話によるとナラティブ・メディエーションはアデレードから始まったとか。「Telling stories」 コミュニケーションが取れずに問題が深刻になっているケースには打ってつけだと思います。 

実は滞在中ずっとメディエーター的視点で友人の話を聴いていました。韓国では、「野ガモ家族」と称される妻と子だけが長期に海外滞在するケースで、妻と国に残っている夫の間に少なからず問題が起きる、とNZにいる時から話を聞いていました。NZでは平均的な妻の愚痴程度だったのが、今回は違いました。顔がこわばり、息子にも、電話の向こうの夫にも攻撃的で、かなり深刻な様子でした。一体何が彼女をそこまで追い詰めたのか・・・話しを聴いているうちに見えてきたのは,不安、不満、疲労、孤独感。体調も良くないなどストレスが溜まる一方で、吐き出すことができず、どんどん自分の中で負の要素が膨らんでいく。自分を肯定する(保つ)ために、他者への攻撃を強める。やがて自分をコントロールできなくなる・・・。 

☆移民ゆえのデメリット。文化や言葉の違いで他人とコミュニケーションをうまく取れない。取るための機会もなかなか無い。移民局が課す、ある程度の英語力を証明するテストは合格しているが、実際の生会話ではまだまだおぼつかないのが現状。

☆多くの移民は金持ちではない。希望を持って母国を出て来たが、お金に余裕がないと現実は厳しい。お金を得ることだけで目一杯になる。☆国に残っている家族親族に苦境をわかってもらえない。もう帰れない。

☆人口密度が非常に低い。つまり、人を身近に感じられない住環境。 前にも書きましたが、130万人近くも人口があるとは、とても思えない。静かで落ち着いた暮らしとも言えるかもしれませんが、第一印象は「何もない。殺風景。」でした。東京は他人との距離が近すぎですが、アデレードはあり過ぎです。森もあるし、家も立っていてるけれど、「豊かさ・潤い()」を感じない、殺伐とした印象なのは不思議です。何なんでしょう。

 何日か話を聴いているうちに、ふと、我に帰ったような瞬間が彼女にありました。その時を堺に彼女の声は穏やかになり、笑顔も見られるようになりました。お別れをする頃にはすっかりNZにいた頃の優しい笑顔に戻っていました。ほっ。 

アデレードが大嫌いだと言っていた彼女。 着いてすぐの頃は、私も、寒いし長旅で疲れていたし、風景も殺伐として見えて、確かにこの環境で母子だけで暮らすのはきつい・・・と思いました。ですが、アランに会ったり、あちこちうろついてあらたな発見があったり、カンガルー島では最後に念願のペンギン達も見ることができたし、日本に帰る日、空港へ送ってもらった車中で、ポロリと一言「アデレードも悪くないじゃん。」  そう思えたのは、温かく迎え入れてくれたその友人がいたから、時間とお金をやりくりしてカンガルー島にも付き合ってくれたから、一緒に気の利いたカフェでおしゃべりできたから・・・、まだまだたくさんあります。 「アデレードも悪くない」きっと彼女も少しかそう思えるようになった・・・と思いたい・・・。 


アデレード その4 [旅先での・・・(海外)]

南オーストラリア州でお勧めの観光スポット、カンガルー島に一泊二日で行きました。空港もあるけれど費用を抑えてフェリーで45分、島ではレンタカーで移動しました。公共移動手段はありません。フェリー乗り場はアデレードから時速100位でスッ飛ばすと1時間とちょっとです。島でも同じでしたが、オフシーズンということもあるのでしょう、とにかく人の気配を感じない。途中、他の車とすれ違うこともほとんどありませんでした。それでも、観光スポットでは数人と出会い、みんな大体同じ道をたどるので、何度も同じ顔に逢い親しくなりました。

   カンガルー   奇岩   奇岩2   カンガルー島

島には農場もありますが、野生動物サンクチュアリーになっています。カンガルーとかたくさんいるのでしょうが、基本的に夜行性です。日中に見た生身の数よりも、道端に横たわる夜中に車にはねられたと思われるカンガルーやワラビーの死骸の数の方が多かったです。写真のカンガルーは野生ですが「野放しでやる気のない公園」のようなところにいました。島だけではなく、アデレード市内でもそうでしたが、動物達が人をまったく恐れない、近づいても逃げる気配がなかったのは、さすがは野生動物保護に力をいれている国だと感心しました。 カンガルーの後ろに見えている木はユーカリでコアラがたくさん生息しています。 多摩動物園のコアラ園と違ってユーカリの木の高いこと、はるか高いところにコロ~ンと可愛らしく丸まっているお尻が見えるのですが、私のデジカメでは見分けがつくほど写りません。

美しい海岸線の先に現れた奇岩。「注目にあたいする驚異の場所(remakable place)」と呼ばれる奇岩は圧巻でした。説明が書いてある看板の岩の地図には危険ラインが色分けしてあり注意を促していますが、柵などありません。海側は断崖絶壁。ここですべって落ちる人は自己責任です。 


アデレード その3 [旅先での・・・(海外)]

左の写真は劇場、いえカジノです。同時にこの建物の下は駅へのホールになっています。大きくすると建物の上部に「railway station」(駅)の文字が見えます。 帰国前日に総選挙がありました。日本と同様、連立政権ありで、メイン政党である二つの政党、労働党(labor)と自由党(liberal)で争い、どちらも単独では制覇できず、第三の党グリーン(green)がどちらに付くかで、盛り上がっているところでした。トラム全面に描かれているのは党首(候補者達?)です。駅のすぐ前の通りでとりました。 保守派は移民を歓迎しない政策を唱えているので友人には重大関心事です。

    駅   トラム     病院の花

一番右の花の写真は、総合病院のホールにる売店の前にあったショウインドウです。日本では、花は匂いが強いし花粉も飛ぶからと、最近は避ける傾向がありますが、ここでは、お見舞客用に売っていました。大体¥1000~2000くらい。ホールの壁に可愛らしい手芸展示品が貼ってあって、日本の病院のイメージとは違う、癒しの空間になっていました。


アデレード その2 [旅先での・・・(海外)]

韓国では、母国に希望を持てず、母親付きで小学生の子供を留学させ、そのまま中学、高校と進ませ永住権を取得する、お父さんは韓国に残り、お金を稼ぎ、ひたすら資金を送る、いずれ合流する、という目論みが流行りだといいます。友人もその一組で、諸事情でニュージーランドを出てオーストラリアはアデレードに移り住むことになりました。彼女は今年41歳、むすこは14歳です。子供の学校費用を安くおさめるために、3年前にアデレードにある看護短期大学に入学し、2年間勉強して立派に終了。今年から、派遣パートで病院勤めをしています。いつ仕事があるのか不定期で保障が無く、お金のために夜勤を多く受けているので、ストレスと体調不良で苦しんではいましたが、一度も働いたこともなく結婚して、比較的優雅に母してきた彼女の決意とガンバリには脱帽です。来年度はフル・タイム勤務につけるようにと希望の病院にリクルート応募書類を準備していました。医師や看護士が不足していて新規の移民に頼らざるを得ない状況で、インド人、韓国人、日本人にも、彼女と同じような目的と立場で看護士をしている母と子がたくさんいるようです。 

ところでアデレードには、APMF(アジア太平洋メディエーション・フォーラム)の事務ベースがある南オーストラリア大学があります。左の写真はその南オーストラリア大学キャンパスの一部、右手の建物にデール会長やアラン(私のトレーナー)の部屋がありました。右の写真、赤いセーターの男性がアランです。大学のカフェで1時間半ほどおしゃべりしました。  

SA uiv.               アラン   

折角の機会だったのに、なんでもっと時間をとらなかったのか・・・超後悔です。いろいろ聞きたいことがあったはずなのに・・・日本人特有の、いえ、私特有の遠慮の塊でした。次のチャンスは来年。今年11月のインドでの定例総会がキャンセルになって、かわりにバンコクで開催のはずがそれもキャンセルになり、再度、来年、バンコクに持ち越されました。次回は勇気と自信を持って・・・(修行が足りない私です。) 

アデレード、オーストラリア--その1 [旅先での・・・(海外)]

日本からはほぼ真下に位置する南半球のオーストラリア、春を迎えつつあるアデレードに行ってきました。人口129万人オーストラリア第5の大都市ですが、「ど田舎」を通り越したような印象でした。ニュージーランドで親しくなった韓国人母子の家にお世話になりました。友人宅は、ターミナル駅がある市街地から電車で30分の「郊外」ですが、すでに自然の真っただ中、徒歩20分のところには国立自然公園もあります。 下の写真はその電車の窓から途中に見えた風景を撮ったものです。 ユーカリの木々に交じり、桃の花が満開でした。 友人宅の庭先には水仙が咲き始めていました。 友人はこの辺りを「山」と呼びたいけれど土地の人々は「丘 hill」と呼ぶそうです。 左の写真、遠くに見えているのは海、そのず~っと先は南極です。

    P1030834.jpg  P1030830.jpg  もも

人がいないと言っても、市街地の中央市場やショッピング通り、ファミレス的な飲食店に入ると、どこからこんなにたくさんの人が出てきたんだ、とびっくりするほど人がたくさんいました。  私の友人も移民組ですが、アデレードは積極的に移民を受け入れてきた街です。中央市場もお国柄で住みわけがあるようで、例えばチーズ屋さんはギリシャからの移民、野菜は中国やベトナムなどのアジア人、パスタは勿論イタリア人。キノコだけの店、オリーブだけの店、というように小さな店がひしめきあっていました。  市場より少しお洒落なお店が並ぶショッピング通りには「sushi king」というチェーン店や、すし中心の日本食屋さんがありました。経営は韓国人か中国人だそうです。友人は「うどん」がおいしかったと、言ってました。

 市場 市場    すしking        

 

 


久しぶりのバルセロナ [旅先での・・・(海外)]

皆さま、明けましておめでとうございます。良いお正月を過ごされたでしょうか? 私は、久しぶりに家族3人で海外で過ごしました。スペインのバルセロナを訪れました。ホテルでは無料でインターネットを利用できると書いてあったので、バルセロナからブログに記事をと企んでいたのですが、現地のパソコンに向かって気がつきました、日本語入力できない、と。

12月24日に出発し7日に帰国しました。なるべく安い航空券で行こうと探してこの日程に、そして同じ日でも出発時間によって違う中で一番安い便を買い、現地到着は夜の11時でした。インフォメーション・センターもクリスマス休み?情報を得られず、飛行機から降りた人達以外に人気も無く、タクシーでホテルへ。ネットで探した宿なので、ちゃんと宿泊が手配されているか心配でしたが無事チェックイン。とてもモダンでシンプルな作りのホテルで快適でした。ちなみに☆☆☆です。向かいは5つ星ホテルでしたが、これがまたミロを思わせるような超モダンな作りで流石はモダニズムの街だと感心しました。  

街の通りはアーチ型のネオン(ダイオード?)でクリスマス色に飾られとてもきれい、アーチの中には「ようこそ」という日本語もありました。ガウディ建築と日帰りできるモンセラートという二つの世界遺産、ミロ・ピカソ・ダリ(日帰り可能)超有名な芸術家達のアートも楽しめるバルセロナは観光客で溢れていました。聞こえて来る言葉は主にフランス語とイタリア語、スペイン語。バルセロナがあるカタルーニャ地方はフランスのお隣です。土地の人はスペイン語とはちょっと違うカタルーニャ語を話すとか。毎朝起きるとテレビのスイッチを入れカタルーニャ語テレビの天気予報を毎日チェックしました。他のヨーロッパやスペインの町街では雨と雪に見舞われ、洪水の被害も出ていたようですが、地中海沿いの地域は、バルセロナでも雨といっても傘が無くて済む程度でした。だから、みんなこぞってやって来るのでしょうか・・・?  

スペインでは1月に入ってもずっとクリスマスで、テレビでは毎日おめでとうミサ番組やサイレント・ナイトなどのクリスマス・キャロルが流れていました。確かに、クリスマスは本来キリスト様のお誕生を祝う行事だったとあらためて納得しました。プレゼントは最後の日、1月6日にもらうとか。ちなみにイギリスでは12月26日のボクシング・ディ(Boxing day)でやはり休日でした。プレゼントを箱(box)に入れる(詰める)日でboxing dayだと教えてもらいました。  

今回私は30年前に食べたパエリャの味が忘れられずに楽しみにしていたのですが、どうやら地方によって違ったようで、カタルーニャ風は私には「リゾット」でした。パエリャの発祥はさらに南に下ったバレンシアだとか、確かに前に食べたのはバレンシアでした。バルセロナで何回かいただくうちに「炊き込みご飯」風もあり、私にとってはパエリャではなかったですが、おコメ文化の日本人ですし美味しかったです。


やっぱりマック [旅先での・・・(海外)]

台湾の私の友人Sは話を聞いていなければ癌を患っているとは絶対に思えないほどエネルギッシュで顔色も悪くなく元気に見えました。私の方がよほど元気が無く病人のようで、体力も気力も負けていました。 彼女は、台湾の大学を辞めてしまいたくないのは、自分を奮い立たせるための動議づけが必要だから、と言ってました。毎日大量のサプリメントと薬を飲むわけですが、食前だの、食後だの、食間だので、頻繁に飲むことになるので、「一日中薬ばかり飲んでる感じで、お腹もいっぱいになってしまう・・・」と言います。でも、しょっちゅう忘れるし、やはり薬が効くのかお腹が減り、時々マックに駆け込んではハンバーガーをぱくつきました。 体内の毒素をできるだけ取り除くために、お医者さんから機械を借りて、自分で腸内洗浄をします。最初はちょっと辛いけれど、洗ったあとは超気持ち良いのだそうです。たしかに、便秘を解消した時のようなすっきり感なのかもしれません。

 「日本人は魚を食べるから・・・(健康的よ)」と自慢げな私に、「海の水が汚染されているから魚はいけない・・・」と返すS。食べ物にも最新の注意を払っているようすの彼女。その辺の食べ物屋さんは衛生的観点からも受け入れられないようで、外食は厳選した数件の店と病院内の食堂の薬膳食。(病院の薬膳、蜆のラーメンがおいしかった。でも、彼女の好物の炒飯はもしかして・・・油が古い? それに、フード・コートみたいになっていて、店のおばちゃん達の客の呼び込みのけたたましいこと、元気のない病人さんも元気になる・・・のか??) 

そしてマック? 買い物はフランス系スーパー、カレフールだし、やはり西洋文化を信頼する傾向があるのかもしれません。確かに彼女にとっては材料も手順も予想がつき、彼女の行動範囲内で選ぶなら、安心、安全、手軽な食べ物屋さんなのかもしれません。 かく言う私も実は、台中に着いたその次の日、早々に、味を比べると言いながらセヴンイレブンでおにぎりを買って食べたのでした。 しかも、中の具はいつも決まって手に取る鮭だったな~。で、そのお味は、お米はちょっとパサパサして、鮭もサーモンではなくて鱒だと書いてあった。味付けもちょっと日本のとは違った。不気味そうだ…といぶかしながらも最後まで食べた。美味しかった。   

 

今頃Sは荷物の整理に大わらわでしょうね。新しくかかった(血液顕微鏡検査した)お医者さんの治療の効果が出ていると良いのですが。帰国の途中、バンクーバーに寄って、学術発表をするのだとか・・・。驚異的な女性です。 

台湾に行ってきました。 [旅先での・・・(海外)]

先週1週間、前に「みんな癌」でお話した台湾の友人の所へ行ってました。彼女が住む台中市は台北の国際空港からバスで2時間弱、バスは発達しているようで待ち時間もなく、快適なドライヴでした。といっても途中の景色は何も覚えていない・・・寝ていたのでしょうか? ターミナルについてすぐに彼女が自分の車で迎えに来てくれました。車中の会話から、実は私は状況を全然理解していなかったことに気づきました。つまり、外国では大学の先生と言うと、大抵は優雅な暮らしをしているもので、一人暮らしとわかっていてもそれなりの住居を想像していたのですが・・・・。

彼女の住まいは大学内のドミトリーで一応教員棟ではあるのですが・・・。 大学の地下の駐車場に車を止め、車外に出るなり、うわ~何なんだ、この匂いは? それは下水から上がってくる匂いだとか。街中にはまだむき出しの排水溝が残っていて、何でも垂れ流しの川もあり、環境対策は大幅に遅れているようでした。その、異様な匂いがたちこめる建物から出て、教員宿舎棟に入り、彼女の部屋のドアを開けるなり、これまた、別の匂いが・・・・。部屋の机の上や冷蔵庫の上、つまり平らな所には大量のサプリメントや漢方系の薬の袋が山積み・・・。部屋は物やら衣類やらダンボール箱やらで溢れ、ただでさえも狭い部屋にクイーンベッドが。正真正銘、足の踏み場がない。唖然とする私。ここに二人どうやって寝るというの? ベッドのあっちとこっち?  もう夜も遅かったし、今さら、私はホテルがいいとも言えず、「貴女が構わないのなら・・・」と平静を装い、覚悟を決めるしかありませんでした。 さらに、漢方オーガニック系の薬が冷蔵庫に入りきらず出してあるので、暑いと駄目になるからとクーラーをビンビンに入れる。寒い!扇風機にすることもあるけれど、これがうるさい!

朝、鳥の美しいさえずりで目が覚めました。ベッドは思いのほか快適でした。うちのと違って寝返りを打つ度にギシギシなることもない、ただちょっと寒かったな~。建物の前は庭になっていて木々や花々が清々しかった。桑の木が実をたわわに付けて、松葉ボタンやインパーチェンスや日本でもお馴染みの花が咲ききれいでした。

 彼女は5件くらい違う病院にかかっていて、毎日どこかの病院へ行きました。彼女が一番信頼している東洋医学系クリニックで私も血液顕微鏡検査をしてもらいました。顕微鏡はテレビ・モニターに接続しているので、自分の血がどうなっているのかよく見えます。白血球がカンジダ菌を捕えて食べているのがはっきり見えて、思わず応援してしまいました。「行け行け!」  その血液で肝臓機能がうまく働いていないことなどがわかり、ドクターの診断は「慢性疲労」。 規則正しい生活と食事、それに適度の運動をするように、言われました。 結構、健康お宅の私ですので、知識は十分にあるのですが、ついついこのメディエーションに夢中になって、非常に不規則で無理な日々が続いていました。 

 ほんのピンポイントほどの血液の中に宇宙がある・・・一生懸命生きるミクロの生命体を目の当たりにして、急に自分の体が愛おしくなりました。 真剣に健康維持を心がけようと決意して帰国して今日で5日目、まだ真剣です。いつもの私の旅行鞄である遠足のリュックのほぼ半分を占めた3か月分の漢方薬、とても美味しくないんだけれど頑張って飲んでいます。栄養のバランスを考えた食事を心がけ、適度の運動・・・はちょっとはしょり気味ですが。 で、友達の容体は・・・ ・・・次回にお話しすることにします。今日はもう寝る時間ですので。

生活が苦しい?(マレーシアで) [旅先での・・・(海外)]

私のメディエーションとの出会いの場となったAPMF(アジア・太平洋・メディエーション・フォーラム)は2年毎に総会を開きます。今年が私には2度目の会でマレーシアの首都クアラルンプールのイスラム法科大学で開かれました。その時出会った参加者とのエピソードを紹介しますね。

 

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