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APMF会議参加報告 その3 [2011APMFバンコク]

会議参加の収穫は、デール会長他メイン・メンバーとの距離が少し縮まったと感じたこと、メディエーターとして孤独を感じているのは私だけではなくて他にも結構いると知ったこと、同じアジア人同士通じるものがあると感じたこと、言葉や文化が違っても人の中身、「気心」とか「弱さ」とかはやっぱり同じだと再確認できたこと、です。 

インド人の熟練メディエーターとの出会いは貴重でした。日本とインドでは、「階級差による力の行使」や「年長男性がルールを支配し、周囲の人は是非に関係なく敬意を表し従う」は当たり前とする人々が多くいる、という点と、かなり封建的な社会背景が似ていると感じていました。彼の話を聴いて「そうですよね~」と大いに共感し、私の長年の課題の一つの答えが見つかるかもしれないと思い、質問してみました。

その課題とは、「権威主義傾向が強く、思考面での老齢化が進む高齢男性が当事者になっているケース」で、私はその男性とどう関わり、問題解決のためにはどうするのが良いのか・・・??? お手上げでした。
実際に私の「まずい一言」で関係を悪くし、いい考えが浮かばないまま三年越しの成り行きで結果が出て、なるほど、と納得したケースがありました。
彼は、その結果をもたらした成り行きと同じことをアドバイスしてくれました。因みにそのアドバイスを一言で言うなら「権威」には「権威」をです。押さえつけるという意味ではありません。納得してもらう筋道として、です。
 

アジア・アフリカの紛争地域で国連スタッフ、国際赤十字のスタッフとして働き、現在はスイスに在住し、フリーでpeace building project (平和構築プロジェクト)コンサルタントをしている女性の基調講演で、二つの発言が印象に残りました。
「何度も失敗した。」 「諦めないこと。」
以前、日本でも大先輩の「失敗の連続だよ」の言葉を聞いて、「そうなんだ。私がうまくいかなくて当然なんだ。」と納得して、俄然力が湧いたことがありました。失敗を怖れず果敢に取り組むことをせずして、プロのメディエーターにはなれない、ひたすら実践あるのみ。 うまくいかないとめげてなんかいられない、ということです。
(ケンタッキー・チキンのサンダースお爺さんはフランチャイズの店を出してもらうのに6XX回目・・・正確な数字は忘れました・・・にしてやっと受け入れてもらえたそうです。)  


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APMF会議参加報告 その2 [2011APMFバンコク]

メディエーションは多分野に及ぶので、基調講演以外は、分野別の分科会になります。特に今回は実務者会議となり、私は「家族の問題」グループで発表させてもらって、分科会ではそのグループに付きました。他の分野の話も聴きたいのに聴きに行けなかったのが、いつものことながら辛い。あっちもこっちもそっちも興味があります。分身の術を習得したい!
今後web siteを充実するとか、各分野の会議内容はそちらを参照くださいませ。(まだアップされていません。)

 「家族の問題」分科会:7人という極小グループでしたが、参加者は会長始め、熟練経験者ばかりで私には超ラッキーでした。自分の発表もあまり緊張せずにできましたし。家族の問題では、"大人の都合で子供に多大な影響が出る、それで又問題が複雑に深刻に発展する"背景と経過が共通していました。・・・何処も同じようです。"

私は、若い夫婦の協議離婚ケースに絡めて、日本での特徴的傾向として、「親が子離れできないことで子供の精神衛生にまで影響を及ぼす深刻な経過を取る・・・」と話ました。(“子離れできない”とはkmk的には“気がつかずに子どもの自我自立の芽生えを摘み取っている”という意味です。) 

私の師匠の一人でもあるオーストラリアからの発表者は、夫婦の離婚問題に絡み親も子供も気持ちがバラバラになっている家族のケースについて話してくれました。諸事情により「子供達が車で2時間かかる学校に通っている=通わせている=親は送り迎えしている=親にも子供達にも無理があり疲れ切った」ことが根底にあった、というケースでした。 


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APMF会議参加報告 その1 [2011APMFバンコク]

100人程という予想を超えて156人が参加した、と会長から報告がありました。「風評被害を含めた洪水の影響で、バンコクで開催予定されていた大きな国際会議がいくつもキャンセルされ、タイへの旅行を取りやめた人が何千人規模で出ている。(日本もそうですが)企業が大きな被害を受けたことで、各国のマスコミがその部分だけを取り上げて報道しているので的確ではない。(会議)開催地域は全く問題ない。」と訴えるメールが会長から出されたのが良かったのと、現地の正確な状況を知り得る周辺国からの参加者が多かったようです。

参加者は常連のオーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、パプアニューギニア、アメリカ、カナダ、日本に加え、ベトナム、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ネパール、台湾、珍しい所でバハレーン、遠くはアイルランド、アルゼンチンから、さらに昨年国連総会で認められた、紛争の平和解決のためにメディエーション推進を目指すUN Resolution and Friends of Mediation group立ち上げを主導したトルコとフインランドの在バンコク大使が招待されていました。

 私的には、最近民主化路線に軟化しつつある(・・・のでしょうか?)ミャンマーからの難民キャンプ絡みの方々に興味をそそられました。実際のところどうなのだろう、って。
難民キャンプと言っても人口数万人に膨れ上がり、一つの村?町?のようになっているそうです。そこで救援活動する若い女性は、「今、キャンプでは夫婦問題・離婚問題が急増していて、どう取り組んだらいいのかわからない。大きな問題になっている。」と訴え、私の「年の功」実践経験の話をすがるように聴いてくれました。で、私は「おばさんパワー」全開でした。


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