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「庭から広がる暮らし」本の紹介-その1 [草の根的メディエーションのつぼ]

小さい文字を読むのが辛くて暫く活字離れしていた私ですが、珍しく、リビングのテーブルに3冊の本を置いています。  置いて眺めている・・・時もありますが、今とても興味をそそられる3冊です。

 「庭から広がる暮らし・仕事・自然 オーガニック・ガーデン・ブック」曳地義治・曳地トシ著  このブログに以前、うちのバルコニーの雨水利用自動潅水プランターのことを書きました。作ってくれたNPO法人グリーンネックレス(武蔵野)の方々が見学に見えた時に、プレゼントしていただきました。  いのちのめぐる庭 と題した前書はこんな風に始まりますー「時には芝生の上でお弁当を広げてみる。鳥や風の音を聞く。いろいろな虫と遭遇する。緑と言っても絵の具では言い表せないほどの色がある。どうも植物にも考えがあるらしい。いつもよりちょっと深呼吸してみる・・・。これらは植木屋になってからお客さんの所で知った庭の楽しみ方だ。庭仕事にまったく縁のなかった私達が、ひょんなところから植木屋になり、すっかりはまってしまった原因は、ここらへんにあるのかもしれない。」 

今まで目にしたオーガニック・ガーデンについて書かれている書物は、私にはちょっと力が入り過ぎで、そこまではできない、したくない、と思うのですが、曳地義治さんの語り口は自然体で、す~と入ってきます。特に興味を持ったのはカナダで体験されたという老人ホームでの園芸療法のお話です。庭のあり方も、徘徊する人が施設の外に出ていかないように工夫された散歩道とか、「落ち着きたい」という人の心理を考えて置かれたベンチとか、痴呆だったお父上がベッドに縛り付けられて非人間的な有り様を強いられていたことを思うと、感動だったとか。  結婚後しばらく夫婦別姓を通したそうで、社会での夫婦別姓の認知度に触れ、「法律よりも市井の人々の方が進んでいる・・・」とあったのが妙に納得しました。 


怒らないこと [草の根的メディエーションのつぼ]

我がメディエーションの友からこんな便りをもらいました: 「『怒らないこと』という 仏教関係の本を読みました。その本の中でもまさにメディエーションに通じる記述がありました。相手の怒りや言うことにとらわれずに、問題だけを取り出して解決する。
自分の立場や都合、意見は捨てて 一緒に解決方法を編み出す姿勢でいれば 相手の怒りもおさめることができる、・・・。」 でも中々難しいと、その友は結んでいます。


“怒り”は動物の生理現象なのではと思っています。「怒るな」というのは、トイレに行くな、と言っているようで、普通の人が本当に怒らなくなったら、そろそろ、次の世に呼ばれているのかもしれない・・・なんて、思い当たることがありました。

話が飛びますが、ガチンコになると、つまり「自分の言い分は絶対正しい、相手は間違っている」に発展すると、お互いに引けなくなります。そうなる前に、こちらがとりあえず力を抜くと、相手の力は合気道の時のように拍子抜けします。綱引きでもイメージできるでしょうかーこっちが引っ張るから相手も負けじと引っ張る、こちらがその手を放すと、相手は引っ張る意味がなくなります。

しかしながら、怒りを感じてから力を抜くというのは、こちらはその怒りを押し込めて我慢するわけで、トイレを我慢するように、本当ならはき出したい何かが溜まります。結構しんどいし、エネルギーを使います。相手が強力だと、我慢する量もエネルギーも余計にかかります。  
溜まったものはどうしてくれるの? 自分を褒めてあげる、ご褒美をあげる、そして いつか、相手が変わってくるのを感じた時に、ほんとだ~、うまくいくものなんだ~、と報われた気持になる・・・そんなことが何度かあると、段々深刻な対立は避けられるようになる・・・今のところの私です。


ベーシック・インカム [その他]

 ちょっと宣伝させてください。今月19日、法政大学多摩キャンパスと読売新聞立川支局とのコラボで市民講座があります。今回はその3回目、テーマは「ベーシック・インカム」。あのホリエモンさんも賛同していらっしゃるという今最も新しい政策思想です。多摩キャンパスで午後1時半からです。会場までちょっと遠いけれど、溢れるばかりの自然に囲まれた美しいキャンパスです。詳しくはhttp://www.hosei.ac.jp/shakai/news/shosai/news_1674.html

 「すべての国民に、毎月生活に必要な最低限の所得を支給して保障する政策のことです。唐突な夢物語のように思われるかもしれませんが、真剣に検討している国や研究機関も多く、すでに財源確保の途を付けているところもあります。このBI政策が実施されますと、国民は失業しても生活に困らなくなります。学生も、いまのように就職活動に血まなこにならずに、自ら納得のいく仕事が見つかるまで勉学に集中できるようになります」とは発表者の言葉。

ユニークかつ画期的な政策だとは思いますが、いま一つ理解してもらいづらい・・・説明できない。 「人が怠け者になる。」「全ての人?税金でしょう?お金持ちの医者や強欲な大金持ちに、苦労してきた自分の税金を使われるのは絶対に嫌だ。」かえってきた反論です。  怠けていたいほどの額ではないようです。 確かに、私もあくどいことをして金持ちになっている人にまで、というと嫌かもしれない。でも、あくどい人は、何故あくどくなるのか? を考えると、最低の生活が保障されれば、多少なりとも変わるのかもしれません・・・どうでしょうね~。

 「いま地球上では富が偏在し、飽食に満ちた地域があれば、飢えに苦しんでいる地域もあります。(今までの援助の形を変えて、)これをベーシック・インカムという形で分配することで、貧困問題や難民問題、ストリートチルドレン問題、ドメスティックバイオレンス問題など、相当数の問題や犯罪が解決します。グローバル化することに意味があるのです」発表者。  確かに、<お金を出せばいい援助>から<相手の持続する自立を促す援助>へと経て、同じお金を使うなら、世界の平和のためというならば、次の援助の在り方として中々いいアイデアのようです。 


ALT(英語補助教員) [子供ぴあ・め]

ALT(英語の補助教員):40人クラスの元気な子供たちを相手に、1日4クラス。1年に均すと1か月に2日ほどの出番なので引き受けましたが、ちょっと軽く考えていました。事前打ち合わせがほとんどないままスタートしたので、4クラス終わると暫し放心状態です。今のところ、どのクラスでも歓迎されたのはうれしかったですし、ぴあ・め的に色々なことが見えてきそうで興味もそそられます。一人一人に向き合うと途端に元気がなくなり消え入るような声になる子供が多かったのは「言わせてもらえない/言えない/言わない」がすでに身についてしまっているということでしょうか・・・気になりました。先生たちの願いは“子供たちに英語嫌いになって欲しくない”。 なんとか楽しいものにしようと頑張っていらっしゃいます。

私の願いは、“独りでも大きな声で(私の耳にしっかり聞こえるように)ものが言えるようになって欲しい”。 英語のクラスを介してアサーティブなコミュニケーションを知って欲しい。 “例え一言でもあなたと向き合い話をしたい大人が少なくともここに1人はいるのよ”のメッセージを毎回送りたい。

 今までに読んだ子供のピア・メディエーション関連の事例記事で必ず出てくるのが、「子供たちはそれまでちゃんと話を聞いてもらうことがなかった」 。  この厳しい社会情勢で、家でも、学校でも大人は忙し過ぎて、子供たち一人一人としっかり向き合う余裕を持つのは難しくなっています。先生たちは、それはそれは頑張っていらっしゃいます。ですが、クラスに40人では多過ぎです。巷では2度目の政権交代などと話題になっていますが、教育現場でのニーズに答える画期的なチェンジはいつになるのでしょう。

 


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