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「べてるの家」当事者研究-2 [研究会/学会参加報告]

『当事者』と言うのは「深刻な問題を抱えている本人」の事で、べてるの家では、その自分の問題を研究している人を“専門家”と呼んでいます。ありのままの自分を認め、自分を取り戻そうと取り組んでいる“専門家”達のお話をまとめてみました。

     引きこもり.jpg 「 引きこもり15年の“専門家”」 
自分の弱さを他人に知られることが怖かった。それをひた隠しにしようとした。
 弱さを知られると、他人から軽蔑されたり、認めてもらえないのでは、と思い込んだ。 そして孤独に陥っていった。でも、話してみたら自分一人ではなかった。自分の弱さを認めたら楽になった。  

リストカット.gif 「リストカットの“専門家”」 「自分苛めが止まらない」症候群     
両親は二人とも超エリートで自分も常にトップだった。いつも親の顔色をうかがっていた。
親が求める正解を自分は必死になって求めていた。(親が思うようないい子じゃなければ)“見捨てられる”かも    という不安に陥った。 リストカットするのは人の気を引きたかったから。存在を認めてもらいたかったから。 怒る男の子.gif  

「家の洗濯機を5台壊した “専門家”」  
父親が酒乱で、兄には虐待された。
 『辛い』」とか『寂しい』とかの感情を表す言葉がいつのまにか自分の辞書から消えてしまった。『死ね』『殺す』くらいしか出てこなくなった。 この頃やっと『苦しい』とか言えるようになった。自分より弱いものに当たることで自分の弱さをごまかしていた。

他にも、
・  「劣等感スイッチ」の研究 
・ 「ハリネズミの親子症候群」の研究
・  「きっと理解してもらえないだろうな」「“こいつ、何言ってるんだろう?”と思われてるんじゃないか」の研究
・  「つながり失調症 孤立無援タイプ(一人ぼっちで寂しい、誰にも助けてもらえないと思い込むタイプ)」の研究
・  「言葉の一音一音に自分が責められているのではないか、という感覚」の苦労の研究
・  「緊張・アウェィ感→抑うつ→自閉(眠り込む)→引きこもる→昼夜逆転のサイクル」の研究・・・、などなど、
みなそれぞれに自分の症状に名前をつけて研究しているそうです。

 共通していたのは:
・親や友達、人とつながりたいのにうまくいかない辛さと孤独の苦しみ。
・その辛い、苦しい思いを親にわかってもらいたかった。           
・頑張っても褒めてもらえなくて空しかった。                 
・「辛い」「寂しい」とかの感情がわからなくなった。            
・自分に「ダメで価値の無い人間」のレッテルを貼っていた。        
・一人でもわかってくれる人がいることで救われる。               

                               でした。    

ベてるの家はこちら 


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「べてるの家」当事者研究-1 [研究会/学会参加報告]

統合失調症などに対応するべてる式「治療」の実践と理論は「当事者研究」と名づけられ、その経過報告/成果報告/研究会はものすごい勢いで受け入れられつつあります。ずっと気になっていた私も、先月やっと参加してきました。
主催者(べてる)は、参加者数について、80人の募集だけれども「正月明けで2,30人位かな~」と想定していたということでしたが、部屋は溢れるほど、心のケアー系のお仕事の人、「当事者」と思しき人、身内/近場にどなたかが・・・という人でいっぱいで100人以上の人がいました。
病気の苦労(問題)を抱えている「当事者」が自ら司会進行し、自分研究で得たことを話してくれるのですが、お話はどれもこれも誰の心にも響くもので、当事者のみならず参加者にとっても臨床の場となっていた、と思います。 

精神衛生とメディエーションの可能性について、メディエーションはどこまでできるか、の疑問・・・メディエーションの最前線に関わっていらっしゃる方は、大なり小なり実感していらっしゃるのではないでしょうか、少なくとも一方の当事者の心がかなり病み、本格的に病気になっている方も多い、ということを。 
まだ経験数の少ない私ではありますが、弁護士でも行政でもどうにもならない、人との関わりで発生する問題では、出口が見えないまま何年と月日が経ち、当事者さんの中には、あっちのカウンセリング、こっちの「○△相談」とハシゴして回り、何だかわからないけれど目新しい“メディエーション”にたどり着く、という方が多いと感じています。
kmkでは「相互理解」「コミュニケーションのお手伝いをします」とうたっていますので、「ここなら話を受け止めてもらえるかもしれない」「気持ちをわかってくれるかもしれない」と期待してのことかと思います。そのような当事者さんにメディエーターはどこまで関われるのか? 

ヒントは「当事者研究」にあり、です。 


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べてるの家-1 [草の根的メディエーションのつぼ]

「べてるの家」というのが北海道の浦河という所にあります。精神障害を持つ当事者と地域の有志によって1984年に開設されたとてもユニークな試みを実践している社会福祉法人です。
随分前ですが、三冊の本を紹介しようとして一冊で終わっていたのですが、2冊目は「べてるな人々」向谷地生良(ムカイヤチ・イクヨシ)著でした。この本と「べてるの家」を紹介しようと思ってから、もう1年以上経っていまして、その間にも、彼らはどんどん進化を続け、東京池袋にも拠点を持つまでに発展しています。現在は大学でも教えていらっしゃる著者の向谷地さんは当初からソーシャルワーカーとして関わっている方です。 

その本に、「統合失調症は、人間の持つ『五感』に変調を起してしまう病気である。その中で起こる幻聴は、当事者の日常にあっては、決して『幻』ではなく、『“現”聴-現実に聞こえている声』なのである。」「世界で唯一(?)の浦河名物『幻覚&妄想大会』で幻覚と妄想のユニークさを称え表彰する・・・」と書かれているように、 徹底した肯定姿勢を実践する彼らに、同じように「あるがままを良し」として肯定的な流れに持って行こうとするメディエーターの姿勢が重なります。 

控え目、謙遜、謙り・・・何かと否定的な姿勢を「美」としてきた日本文化の陰で、意図してか、それとも無意識なのか、力の強いものが、その力で、正義も真実も捻じ曲げる事が少なからずある社会実態の中で、自分をどんどん追いつめて、自分を肯定できなくなってしまった人々。
これまで関わってきた私の周りの人々や、相談者さんに向き合ってきた中で、自分をわかってもらいたいけれど、「わかってもらえない」・・・自分は「良く思われていない(白い目で見られている)」・・・「悪く言われている」・・・から、幻聴、妄想へと発展していく過程は容易に想像できます。
アメリカの統合失調症を扱った番組でさかんに「confusion:混乱」が出てきましたが、日本語字幕では「妄想」となっていました。 実際もめ事の深刻度と当事者さんの混乱度は比例しています。 
当事者さんに精神疾患がある場合はメデイエーションはできない(難しい)とされていますが、コミュニケーション障害から来るうつ病患者さんにはむしろ有効なのではと感じています。 さらに、メディエーターは当事者さんの混乱を整理するお手伝いをするものです。 何か問題が起きた時に早期対応できれば深刻な病気にならずに済むとも感じています。 

kmk的用語辞典:ミュニケーション障害。言えない/言わない/言わせてもらえない(cant speak/wont speak/not allowed to speak out

 


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