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「常識」が無い [自己紹介]

子供の頃からあなたには「常識が無い」と言われ続け、その日本的な「常識」を持ち合わせていないことを知られてはいけないと、隠そうとしていた時代がありました。 今は、私の辞書には「常識は人によってそれぞれで、共通の認識から生まれる人々が守るべきルールはまた別のもの」と書いてあります。 

もう一つ、子供の頃から言われ続けたのは、「変わっている。」  人と違って変だ、の否定的響きでした。「“変わっている”って、何を基準にして言っているの?」と心の中では反論しても、相手の理解不能の空気に、軋轢を好まなかった私は押し込めていました。  

やっぱり私って変?・・・自信を持てなかった私ですが、日本を出て世界の色々な文化に触れたことで、自信が付きました。人と違うということは、何ら不思議なことではなく極めて自然だということ、“皆同じ”の日本が寧ろ特別・・・だって。

始めてのAPMF大会(フィジー島)で受けた衝撃です。流血の内乱が続いた国の人の講演で、(太平洋の島国には何千もの多言語多文化を持つ民族がいる。その)「違うものを無理矢理一つにしようとするから対立や争いが起きる。違いを積極的に理解していくことが肝要だ」というのですから・・・胸のつかえがストンと落ちて、すーっと楽になりました。 そうか、人は違って当たり前で、その違いを受け入れる、というのがホントなんだ、と。    

 常識はその人が育ってきた環境と経験から身についた文化で、国や地域や育った背景によってそれぞれで、人によって違うと、今は自信を持って言えます。そして、その常識は自分が暮らしていく上での自分だけの指針/ルールであり自分にとっては大切なものなのだけれど、お互いに違うということを認め受け入れることで争いが無くなっていく・・・自分の常識を認めて欲しかったら、相手の常識も認めてあげなくていけない、と断言したいです。

「普通は~でしょう?」「相手に常識が無い」は争いを抱えている当事者の決まり文句です。係争中の当事者には自分の「常識」と「普通」が全てです。 双方、どちらも負けるわけにはいかないから譲れません。でも、解決を望むなら、まずは、その「自分が正しい」と相手と引っ張り合っている綱引きの手を放しましょう。 

どっちが普通で常識的かの争いに、メディエーターに「常識」が有っては、話はもっとややこわしくなります。中立の立場を保ち、両当事者と公平に向き合うのには、私のように常識の無い人が向いていると思います。


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