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第5回講座終了 [「草の根」活動]

3月21日、2009年度助成金交付事業最後の講座、終了いたしました。ご参加下さいました皆様ありがとうございました。八王子市の住民の方もたくさん参加して下さいました。「私は一体何をしているんだ・・・?」と苦しむこともあったこの一年でしたが、締めくくりにご褒美をいただいたようで、とてもうれしく、また次年度へのさらなる希望と力となりました。

今回は一日だけのプログラムで、やはり、言葉が足りなかった、配慮ももう少しできた方がいいなど、改善点有り有りですが、また次回の糧にいたします。もっとも二日の講座でも同じことが言えるので、短い方が却ってフォーカスしやすいのかも。いずれにせよ何事もやはり実践が大切だと痛感しています。やってみると色々なことがわかる・・・これからも果敢に取り組んでいこう、と心あらたにしました。皆さま、どうぞ宜しくお願いいたします。

これまで にご参加くださいました皆様の「興味」は色々と思いますが、もしかして重たい事情を抱えていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれないですね。 ご自身ではなくても身近にあるとか・・・少しでも気持ちが楽になると、流れが変わっていくと思います。どうぞ、ご遠慮なくご相談くださいませ。草の根ホームページ (http://www.shiminkatudo-hachioji.jp/1HP-kusanone-mediation/index.html#warkushop

(すみません、私信です:21日の講座にご参加くださいましたM様:携帯にメッセージをいただきありがとうございます。返信したかったのですが「非通知」であることと、いただいたメールアドレスにメールしてもエラーで戻って来ます。「草の根」のメールにご連絡いただけますでしょうか?) 


アサーティヴ:自他共尊・・・続き [草の根的メディエーションのつぼ]

(前の記事の続きです。) 

何故、この話が草の根的メディエーションのつぼなの?  メディエーションの、というよりメディエーターの、というべきでしょうか。人は誰でもその基本的人権を擁護されるべし、平等の権利を有す、と日本国憲法も認めています。アサーティヴとは自他共尊、自分から見て、相手(他)が誰であっても、子供であっても、ホームレスであっても、掃除のおばちゃんであっても、その人(権)に対し、同様の敬意を払うということなんです。

そして、自分はというと、・・・“一生懸命に生きていない人”なんているでしょうか?・・・ 自分は自分で頑張っていると認めてあげる、自分で自分を貶めないで、社会がどうあれ、せめて自分だけでも自分を可愛がってあげる(そうして欲しい)・・・ということです。

 

どうでしょう?縦社会がしみ込んでいる日本に住む私たちには難しくないですか?気持ちの上では理解していても、実際には言葉のはしはしに本音(?)が出ていませんか?受け身教育を受けてきた日本人は、自分より色々な意味で力が上と思われる相手のちょっとしたaggressiveness(攻撃性・支配性など)に反応する(負ける)傾向にあります。

このアサーティヴ(自他共尊)は、特に子供のピア・メディエーション・トレーニングや親子/家族の問題で重要なキーであると感じています。「パワハラ系苛め」なども、厳しい縦社会で生き抜いてきた(または負け続けてきた?)方々と、新しい時代の教育を受けながらも変わらぬ社会の現実があり、そのギャップを消化しきれない方々との間に起きる問題ではないかと、と憶測しています。

 

昔の話に戻りますが、当時、日本では貧乏は恥ずかしいことで、額に汗水たらし働く肉体労働者は見下されました(・・・今でも?)。お金持ちさんは見るからに高級そうな服を身につけてお金持ちであることを誇示しているように見えました。イギリスに住み始めて、会社の同僚の若いイギリス人スタッフのお父さん、貧しいながらも、労働者であることに(ある意味その分野の専門家ですから)誇りをもって暮らしていると、感じました。 ゲートから家まではるかに遠い貴族系お金持ちさん、ゲートに迎えに出てくれたのは普通のよれジーパンを履いた普通のおじさんでした。(因みに、この方は私の知りあいではなく、私のフラット・メイトのお知り合いでした。)  

・・・昨今、私の大好きなイギリスにもグローバル化の波が押し寄せているようではありますが・・・。


”うちのママは世界一” [草の根的メディエーションのつぼ]

自画自賛しようというのではありません。日本の家庭にテレビが普及し始めた頃、まだ“児童”だった私が毎週楽しみに欠かさずに見たアメリカのホームドラマのタイトルです。その当時は、テレビはみんなが茶の間(リビング)にいる時間帯だけの放送でした。思えば、このホームドラマが私の最初の”アサーティヴ(assertive:自他共尊)“との出会いでした。

ここのうちでは、親は子供に普通に「ありがとう」と感謝し、普通に「ごめん」と謝っていました。さらに、親が子供に何か頼む(させる)時に、ここのうちでは、「お願い-please」と言うんです。自分はどんな人も「 I 」、相手は、これまたどんな人でも「 you 」。第三者は「 he 」「 she 」 「 they 」。 そこには上下関係も力関係もありません。その当時うちのあたりでは上の者から下の者に対しては、「頼む」のではなく「させる-命令」で服従を余儀なくされるものでした。子供(下の者)の反論は「口応え」で悪しき行ない以外の何物でもなかった時代でしたので、子供の私にとって、さぞかし大きな衝撃だったのでしょう。毎回食い入るように見て、白昼夢とでもいうのでしょうか、この世の別世界に思いを馳せ、「大きくなったら外国に住む」と夢見るようになりました。まだ小学生でしたが、中学生だった兄の英語の教科書で英語の勉強を始め、学校の図書館でいつも写真付きの「世界の国々」に見入っていたのを覚えています。そして、“求めよさらば与えられん”、幸運にもチャンスを与えられイギリスに住むことになりました。

(私的にはまだ寒くて春がきているように感じていないのですが、もう待ちきれないので今日から春バージョンです。春を代表する花、私の大好きなチューリップです。)


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