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教室の壁を取る(イギリス) [海外で・・・]

私たち一家が住んだシェフイールドはイギリスでは4番目に大きい都市で、かつては炭鉱があり、その後は鉄産業でで栄えた労働者の街でもあります。鉄産業も衰退し、私達が住んだ頃にはかなり"寂れた感のある街でした。私達の家は少し郊外で、小学2年生になったばかりの子供が通った学校は、緑がいっぱいの広~い敷地があり、普通のイギリスの家を大きくしたような平屋の校舎でした。 敷地には囲いがありませんので自由に入れますが、校舎はブリック作りの重みのある建物で、始めて訪ねた時、日本の学校のイメージしかなかった私達は、どこから入ればいいんだろうと探しまわったほど、開口部(玄関)のない建物でした。 あったのは普通の家のドアと同じで、中が見えず、外からは開けられません。生徒用の出入り口が一つあり、休み時間など生徒が出入りする時だけオープンになります。確かに、あたりは住宅密集地ではなく、緑の広~い広~いグランドを挟んではるか遠くにお隣の中学校が見えるような所です。しっかりしたセキュリティに感心しました。(校舎内から外へ出る非常口は数か所にありました。)

校長と面会し、入学が許可されて、校舎内を案内していただきました。いったん外に出て 生徒用の出入り口から入るとそこはホールのようなところでお昼の給食を取る食堂でもありました。3年生から6年生(7~11歳)4学年で2~3クラスづつくらい(1クラス30人前後)・・・だったような・・・。 全員が入れるようなスペースではありませんので、給食は3つのグループに分けられ交代で取っていました。担任はいますが、授業の先生は科目別でした。授業中でしたがクラスにも案内していただき・・・「お~!」  衝撃でした。 その空間には柱はあるし形もでこぼこですが、しきりとなる壁がありませんでした。4クラスではなく3クラスだったと思います。あっちとこっちとそっちでそれぞれ授業をしていて、まったく差し障りがあるようには見えませんでした。 

好奇心の塊の私は、クラスをゆっくり見学したかったのですが、見なれない部外者がいると生徒が授業に集中できないという理由で、いつでも見学できるものではありませんでした。ところが幸運にもそのクラスの中に入るチャンスがやってきました!折り紙です。 生徒に教えて欲しいと先生から依頼を受けました。とても貴重な経験でした。 まず、一度に教える生徒数は何人くらいが良いですか?と聞かれました。つまり、(希望者)全員を一度には無理、グループに分けますので、ということでした。確かに、多数を相手にすると声も大きくなるし、一人ひとりの対応も疎かになります。で、10人くらいにしたと思います。2グループになりました。日本の折り紙と言えば鶴、それと子供達が遊べるように指人形にしました。机を合わせてテーブルのようにして、緊張することもなく普通に会話しながら子供達1人1人に手ほどきできましたので、みんなそれなりに完成品ができました。 (・・・今振り返ってみて、“自由に折ってもらう”も入れると良かったかな~・・・)   

1グループがしている間、もう一つのグループの子供達はあっちの方で何か他のことをしていました。 というふうにオープン空間ですので、見えるのですが、だからとい言ってうるさくもないし、気にもならない。目の前の人やすぐ隣の人に話すわけですから、自分も生徒達も声を潜めるわけでもなく張り上げるでもなく普通でした。かえって自然に他者を意識して、余計な力が入らなかったのかもしれません。  いかがでしょう? 学校関係の方、保護者の方、学校の教室の壁を取る・・・。


オープン・モード [その他]

このところ二つの近隣の小学校に関わらせていただいています。一つは英語のALTボランティア、もう一つは念願の子供のピア・メディエーション・プログラム実践に向けての活動です。

10年一昔とは言うけれど、近頃の(小)学校は随分と空気が変わりましたね~。うちの子が小学生だった頃の「余計なことはしてくれるな」の閉鎖モードから、すっかり「地域の方歓迎」のオープン・モードに変わっているようです。クラスを見学させていただきましたが、学級崩壊があちこちで問題になった頃とは随分違って、先生は実に見事にクラスをまとめながらしっかり教えていらっしゃいました。 そこまでにする今時の小学校の先生は、肉体的にも精神的にも重労働なのでは、と感動のあとに心配になりました。閉鎖空間となりやすいクラスで担任が一人で背負うより、どんどん外部の人に入ってもらうことで風通しが良くなるし、子供達がより社会を実感できる、授業に補助がつくことで生徒の理解向上にもなる、等など、とても良いと思います。もっともっと早くにそうあれば良かったと思います。 ・・・この二つの学校が特別オープンなわけではないのでしょう。うちの近くの学校からも「募集」のちらしが入ってました。

ところで、「枠」を外す話をちょっと前に書きましたが、外部に対してオープンになり始めた小学校ですが、教室を仕切る壁をはずすというのはどうですか? そこまではあり得ない、でしょうか? 次の記事は、イギリスでうちの子が通った学校のお話にします。


日本は「破れ鍋」?-無関心 [草の根メディエーターの主張]

子供の頃日本が好きになれなかった私ですが、“井の外の蛙”になり多くの国々を見たことで、日本人の良さ、日本文化の美しさに気がつきました。特に、日本人の繊細さ、真面目さ、温厚な姿勢を誇りに思います。 ですが、残念なことに、その誇れる部分とは裏腹に、「無関心」という点で地球に優しくない・・・資源の無駄使いの多いことには愕然とします。

随分前の話ではありますが、モスクワのホテルでのこと、そのまま捨てられるように、と生ゴミなどを透明のビニール袋にまとめて縛って屑かごに入れておきました。外出から帰ると、ビニール袋だけがきれいに屑かごに残っていました。 NZでは、私でも捨てたくなるようなボロ靴がリサイクル・チャリティ・ショップで売られていて、それをまた買っていく人がいました。お金を掛けてまだ使える物、時には新品が捨てられ、処分される、なんてもしかしたら・・・日本くらい? コンビニのお弁当とか、売れ残った食べ物を当たり前に捨てる私たち。(・・・すみません、そう言う私も食べ物を粗末に捨てることがあります。そんな時は一応「神様ごめんなさい」と言います。)

安さを競うために材料・原料はよその国から安く仕入れる、ところが、その国には貧しくて食べる物もロクに手に入らない人が大勢いる、日本はそんな彼らが作った食べ物を大量に捨てている、という現実。  ちょっと辛口? でも、正直、資源に限りがあるからと物を大事にすることに徹底する人々の国がある一方で、「破れ鍋」のような日本は決して誇れるものではありません。  

資源の無駄使いは、特に何をするにもお金が必要な都市部での暮らしでは、お金の無駄使いでもあります。 イギリスでもNZでも水道の水は貴重で人々は大切に使っていました。 食器洗いのすすぎをけちるなんて、毎日お風呂に入らないなんて、汚い、と思う日本人は多いでしょう。 でも、ちょっと考えてみてください。水道の水にはたくさんの資源とお金が費やされています。その水を、例えば道路にまくのは、その資源とお金をまいているとも言えるわけです。その価値有りということで使うのは結構と思います。国や地域によって気候風土、その他諸事情がありますので使い方は様々と思います。ですが、日本で私達のどれだけが、そこまで意識して暮らしているでしょうか・・・。  

意識していない、つまり無関心、思いやりがないとも言えるわけで、地球にも人にも優しくない・・・しかも、自分を窮地に追いやる揉め毎にいつのまにかはまってしまう、という危険性もはらんでいます。   (ちなみにイギリスで暮らしていた時、お水の成分が日本のとは違い石灰分が多くて食器に残るので、すすぐことよりきれいに拭き取ることの方が大事でした。)


緑の日:自然を大切に [草の根メディエーターの主張]

ニュージーランドに住んでいた時にこんなことがありました。雷雨だったか雪だったか、とにかく大都市であるオークランド市とどこか地方で広範囲で停電になったことがありました。それも長時間続いたので、電力に頼る都市生活は機能しなくなりました。電車は動かない、店は開らけない、食材を調理できない、お湯も沸かせない、電気で水を汲み上げ流す水洗トイレは使用できず、等々、人々の生活が完全に麻痺したオークランド都市部、それとは対象的に、田舎の家では庭で普通に焚火を燃やし、お肉(多分自分とこの羊?)を焼いてBBQ、もともと水道が来ていないのでお水は大きなタンクに雨水を貯めてある、ので何も困らないいつも通りの暮らし、とがニュースで報道されました。「物質文明の発展で便利になった人々の暮らし」について 真剣に考えるきっかけとなりました。

ニュージーランドから帰ってしばらくは生き苦しくて(息苦しくて)つらかったのですが、その生き苦しさは何だったのか・・・:私の個人的な感触ですが、NZでの日常での自然とのかかわりを“100”とするなら東京では“1”にも満たないかもしれません。都会では、物質だけの中で暮らしている人が大勢いることでしょう。都会じゃなくても、概して人々は「物質文明の発達」を手放しで歓迎し、人工的に作り出された「物」の方が価値あるものとして、敢えてお金をかけて追い求めてきたように思います。確かにその「物」のお陰で人々の暮らしは「便利」になりました。でも、「豊かになった」のか・・・というと、どうでしょう? 

自然は、自然界では手をかけなくても普通に再生を繰り返します。お金などは必要ありません。人間も生き物ですから、本来は自然界に属するのですが・・・。 子供を産めない/育てられない。ホームレスや自殺者、虐待・暴力、心を病む人々の増加は、お金と物質に頼る人間の不自然な暮らしへの警鐘のように思われます。 


4月25日の勉強会 [「草の根」活動]

4月25日の勉強会、結局3人でしたが、良かったです。勉強会は理論を模擬実践しながら進めていきます。予告しました通りメディエーションの始まり、まず相談を受ける、「鬼が島襲撃事件」で鬼族さんからの相談を受けている途中で時間になりました。色々補足すべき点が見つかりました。次回は5月23日(第4日曜)1:30pm~ 八王子市民活動支援センターで、「相談を受ける―まず(鬼族さんの)お話を伺う」の続きです。

 6月は第3日曜日に戻って20日の予定です。

 参加者のお一人Oさんの「物静かさ」は、相手を緊張させない落ち着き具合を醸し出していて、笑ってごまかそうタイプの私とは対照的です。羨ましいくらい良かったです。

同じく参加者のYさん、表には出にくい「人の気持ち」の引出しをたくさん持っていて、今後の勉強会でも色々な気付きを提供してもらえそうです。 これからもどうぞよろしく。


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