アサーティヴ:自他共尊・・・続き [草の根的メディエーションのつぼ]
(前の記事の続きです。)
何故、この話が草の根的メディエーションのつぼなの? メディエーションの、というよりメディエーターの、というべきでしょうか。人は誰でもその基本的人権を擁護されるべし、平等の権利を有す、と日本国憲法も認めています。アサーティヴとは自他共尊、自分から見て、相手(他)が誰であっても、子供であっても、ホームレスであっても、掃除のおばちゃんであっても、その人(権)に対し、同様の敬意を払うということなんです。
そして、自分はというと、・・・“一生懸命に生きていない人”なんているでしょうか?・・・ 自分は自分で頑張っていると認めてあげる、自分で自分を貶めないで、社会がどうあれ、せめて自分だけでも自分を可愛がってあげる(そうして欲しい)・・・ということです。
どうでしょう?縦社会がしみ込んでいる日本に住む私たちには難しくないですか?気持ちの上では理解していても、実際には言葉のはしはしに本音(?)が出ていませんか?受け身教育を受けてきた日本人は、自分より色々な意味で力が上と思われる相手のちょっとしたaggressiveness(攻撃性・支配性など)に反応する(負ける)傾向にあります。
このアサーティヴ(自他共尊)は、特に子供のピア・メディエーション・トレーニングや親子/家族の問題で重要なキーであると感じています。「パワハラ系苛め」なども、厳しい縦社会で生き抜いてきた(または負け続けてきた?)方々と、新しい時代の教育を受けながらも変わらぬ社会の現実があり、そのギャップを消化しきれない方々との間に起きる問題ではないかと、と憶測しています。
昔の話に戻りますが、当時、日本では貧乏は恥ずかしいことで、額に汗水たらし働く肉体労働者は見下されました(・・・今でも?)。お金持ちさんは見るからに高級そうな服を身につけてお金持ちであることを誇示しているように見えました。イギリスに住み始めて、会社の同僚の若いイギリス人スタッフのお父さん、貧しいながらも、労働者であることに(ある意味その分野の専門家ですから)誇りをもって暮らしていると、感じました。 ゲートから家まではるかに遠い貴族系お金持ちさん、ゲートに迎えに出てくれたのは普通のよれジーパンを履いた普通のおじさんでした。(因みに、この方は私の知りあいではなく、私のフラット・メイトのお知り合いでした。)
・・・昨今、私の大好きなイギリスにもグローバル化の波が押し寄せているようではありますが・・・。
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