アサーティヴ:自他共尊 [草の根的メディエーションのつぼ]
21日の勉強会の報告です。女性4人でアサーティヴ(assertive)について話あいました。メディエーションに関しては上手なメディエーターであるために、個人的には人間関係の紛争回避のこつとして、アサーティヴであることを不可欠な要素の一つに入れています。因みに、私的に不可欠な要素は大きく分けて三つあります。
1.アサーティヴであること (be assertive)
2.プラス思考であること (be positive)
3.公平/公正・中立であること(be neutral/multi-partial with justice)
今回は1番の「アサーティヴ」がテーマです。去年まで国際関係論系を教えていた友人が、自分のクラスでこの「アサーティヴ」について取り上げた際に使った資料を引用させてもらいます:
(passive)受け身/言いなりのコミュニケーションとは、自分の権利や正当性を主張できず、相手(他の人)に無視されてしまうコミュニケーション。
(aggressive)威圧的で自己主張だけが突出するコミュニケーションとは、他の人の性格(人格)や意見を攻撃しながら、自分の意見を述べるコミュニケーション。
(assertive)アサーティヴなコミュニケーションとは、相手の意見を尊重しながらも自分の正当性(権利)を主張するコミュニケーション。
どうしたら、自分と意見や価値観が違う人と、うまくやっていけるのか・・・有る人が自分にとって困るような行動をとったら、私たちはどう伝えら良いでしょう。自分たちの中にある食い違いをどう解決したら良いでしょう。「攻撃的」になるか「受身」になるしかないように思える昨今ですが、「攻撃的」でもない「受け身」でもない別の(alternative)の姿勢が「アサーティヴ:自他共尊(と訳してみました)」です。“Win-win” を心がけるもので、どちらも譲ることなく、人格を認められている、聴いてもらえている、と感じるものです。 アメリカでは、フェミニスト運動と共にassertiveについての議論や教育が盛んに行われたそうです。人種差別や男女差別、上下の力関係が非人間的に、理不尽に行使される時に、受け身では踏みつぶされ、攻撃的ではさらに強い力に負かされる、何も良くならない、じゃ~どうしたら・・・の答えがアサーティヴだったのでは、と憶測しています。
一人一人がアサーティヴだと(自他共尊すると)、上下関係は、組織のシステムと役割分担上はありますが、個人的な人間関係ではなくなります。目に見えない納得のいかない縛りもなくなります。私が、30年以上も前のことですが、イギリスに暮らして“なんて暮らしやすい国なんだ”と思えたのは、そこがアサーティヴな人達の社会だったから、でした。
自分には自分の信念、価値観、好み、事情がある。他人には他人の信念、価値観、好み、事情がある。危害を加えるものではないかぎり、どちらが正しい/相応しいと比較/判断できるものではありません。
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