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「沽券」その3-武士は食わねど高楊枝 [草の根的メディエーションのつぼ]

メディエーションのつぼ:本音トーク 

江戸時代に入り戦が無くなり、リストラされ貧困を余儀なくされた武士たち、食事に事欠いても武士としてのプライドがあるのでお腹が減っていても、「満腹じゃ~」とこれ見よがしに高楊枝(たかようじ)今でも似たような話ありませんか?リストラされ職を失っても家族に言えなくて、「行ってきます」と朝いつも通りに家を出るおとうさん、さらに、何とか取りつくろうとサラ金に手を出しますますドツボにはまる・・・。正直に言えても、次の職が簡単に見つかるわけではなく、家で肩身の狭い思いをしているおとうさん―きっとプライドも傷ついていることでしょう。家庭内暴力に発展の危険性があります。さらには家族を気持の上で背負いきれなくなって、蒸発、ホームレス、自殺。 企業戦士のみなさん、お腹が減ったら「お腹が減った~!」と叫んでください。企業のみなさん、その声を聞いてあげてください。戦士あっての企業なのですから。

沽券とは本来は“値打ち”の話のようですし、人としての値打ちや品位を保てたら良いな~と、私も思います。ですが、昨今の偽装流行り、いつの頃からか“値うち”の中身もすり替わってきたように思うのですが? 

ちょっと話が重たくなりますが、「死刑」なのだけれど、武士の面目を保つとして自殺させる「切腹」。本音は死にたくない、でも拒否は見苦しいとされ、自殺を余儀なくされる場合が多かったのでは?戦争中/終戦で、敵兵から屈辱を受けるより自害をと、自殺を強要された/選択した乙女たち。本来平和志向(だと私は信じている)の人間に、「名誉なことです。おめでとう」と渡され、少なくとも戦争後期、現実を理解し始めた国民は“いやだ~!”の本音を押し殺して「ありがとうございます」と受け取らなくてはいけなかった「赤紙(戦争への召集令状)」。 

本音を出してはいけない過酷な時代を経て、今「命が何よりも大事、かけがえのない自分を大切に」と子供たちに声高に説きながらも、日本人の文化として、何より大事なものとしての「沽券/面子/プライド/名誉/忍耐」が今も結構、私を含めて多くの人々の心に根付いているのではないでしょうか。ですが、その中身は今の時代にはそぐわない、人としての品位を考えると必ずしも伴っていない、履き違えるているかも、という場合も多いように思います。 


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