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教員にだけはなりたくなかった [草の根的メディエーションのつぼ]

メディエーションの壺:今までと同じなら、今までと同じ結果しか得られない 

学生時代、自分でも何故なのかわからないままに「絶対教師にはなりたくない」と頑固に教職を拒んだ理由が、最近になって見えてきました。メディエーションのテーブルでは「Top down(上から下へ)」の関係はありません。日本では、見た目にも先生は教壇と言って一段高い所に立ちましたし、「教える」というのはtop-downの関係ではありませんか? 子供心に生意気にも私には「下(down)」の立場に置かれていることへの反発があり、一段高い位置に立つことへの嫌悪感だったようです。今も、英語を教えるのではなく、主体は学びたい人にあり、私はあくまでもヘルプであるという立場を取っています。それはメディエーターの立場でもあります。 

ところで、それほど嫌った教師ですが、務めていた会社を辞めて塾の英語の先生をしたことがあります。

 

イギリス、ロンドン店での勤務を終えて帰国し、とても苦しい時期がありました。仕事でもプライベートでも道を見失っていた時で・・・。「四季」という映画をご覧になった方おいででしょうか?ヴィバルディの「四季」が大好きで、たまたま見に行った映画でした。ずっとバックに「四季」が流れ、仲良しの4組の夫婦と恋人たちの日常を描いたものでした。その中で、アマチュア画家でいつも飽きずに同じ物を描き、「東側の国」を毛嫌いし、自分達は何事もうまくいっていて幸せな夫婦だと信じ切っている妻が登場します。妻がそう思えた背景には我慢していて寛容だった夫がいるのですが、実は彼は浮気をしていました。それが本気となり離婚話が切り出される。青天の霹靂に妻は戸惑うのですがもう後には戻れず、彼女はあれほどまでに嫌っていた東欧に向けて旅立っていきます。私も、一番苦手で嫌悪していた世界に入ってみようと思ったわけです。何故なのでしょうね・・・。
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