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再度「沽券」と大黒柱 (12月13日) [草の根的メディエーションのつぼ]

メディエーションのつぼ:歩み寄りの姿勢/みんなの問題  

 

ノルウェイでのノーベル賞授賞式、ノルウェイと言えば、イスラエル/パレスティナ紛争で始めての和平合意を引きだした国ですが、日本人受賞者に、「kobayashi sensei, masukawa sensei ……」と日本語で挨拶したのには、流石だな~と、思わず家事の手を止めテレビに見入ってしまいました。しかも、十分に立派な日本語で、ずいぶん練習したのでしょう。外国から来たお客人の文化に歩み寄る姿勢が素適だと思いました。 ふと、気がつきました。沽券に拘るいわゆる「頑固」と言い表される殿方には、この種の歩み寄り部分がないのかも・・・。頑固が悪いという意味ではありません。もめ事を解決したい時に足枷となり得るので、どう対応したら良いだろうか、という観点です。 

 

思えば日本の父は、ずっと「一家の大黒柱」でした。大黒柱は動かないものです。何があっても、家を支えるためにどっしりと真ん中に立っていなくてならない存在です。これって納得じゃないですか? 父だけに限らず、母も家族を文字通り「支えなくては」、ふらつくと自分自身も崩れてしまいそうで、違うかもしれないと気付いていても必死に、「柱」を保とうとするように思います。 どうでしょう? こう、考えると、じわ~っとこみ上げるものがあります。日本人は家族のためにほんとうに一生懸命やってきたんだって。 なのに今、色々な問題が吹き出し、行き場を見出せない人がどんどん増えています。 

文明開化以来、どっと新しい波が押し寄せ、この短い間に日本人の暮らしぶりは形も中身も随分と変わりました。 でも、心の部分はそのスピードに付いていかず、取り残されてしまった、とよく言われます。私もそうだと思います。今は、男も女も関係なく外で働き、家庭でも仕事や育児の分担はそれぞれです。家もマンションなんかは各戸毎に大黒柱はなく、全体で支えるように設計されています。アメリカのオバマさんではありませんが、今こそ、日本人も変わる時なのでは? お父さん、お母さん、お爺さん、お婆さん、何でも独りで背負い込まずに、子供も混じえて皆で分かち合う、そんな新しい家族のあり方、いかがでしょう?  
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