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絶賛!お勧めアニメ [メディエーション紹介]

アニメ 「みんながhappyになる方法:関係をよくする3つの理論」:メディエーションのコンセプトが一目瞭然の平和教育アニメーションを紹介します。小中学生対象に作られたもので、優れたメッセージ性だけではなく、ほのぼのとして温かみが有り、ビジュアル的にも素晴らしい作品です。3つの短編からなっています。  

子供ペンギンとお母さんあざらしのエサをめぐる争い」・・・争いがエスカレートしないコミュニケーション、「私は~」メッセージを紹介します。
鬼退治したくない桃太郎」・・・集団の争いごとを話し合いで解決する、がテーマです。
「みんながハッピーになる5つの方法」・・・1つではなく複数ある解決方法とみんなの意見を取り入れるトランセンドを紹介します。 

詳細は平和教育アニメーション・プロジェクトのホームページへどうぞ。

言葉そのものにも馴染みのないメディエーション。その普及のためのワークショップで、「対立」ではなく「共に生きる」方法があることを知ってもらいたいのですが、わかりやすいものであることが必須です。kmk立ち上げ時は“劇団ふたり”が活躍して下さっていましたが、それぞれご自分の方向に進まれて解散となりました。学生さんにボランティアで寸劇をお願いしたこともありました。短時間で仕上げたにも関わらず、見事に演じて下さいました。でも短時間はしんどかった~。多分、学生さんも・・・、その節はありがとうございました。その後、アニメ、紙芝居、と考えては見るのですが、目標の出口は遙か遠くで一向に近づけずにいました。このプロジェクトとの出会いは、私にとっては奇跡です!


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親子の問題-その3 [家族間の問題]

大人は、自分にとって都合の悪い事をうまく取り繕っているつもりでいますが、子供達のするどい感性はありのままをキャッチしています。親(大人)は理不尽だと知りつつも理屈をこじつけ、親(大人)の権威を守るために、その理屈を正当化し子供に押しつけます。子供は、親の理屈を素直に受け入れようとするのですが、成長するにつれ「何か変だ・・・辻つまが合わない。・・・何かが違う・・・」と感じるようになります。

さらに親は、“自分が置かれてきた事情/背景”と“子供が置かれている事情/背景”は違う事を認識できずに「自分(親)は正しい」を貫くと、子供は混乱し、消化不良を起こし、心身に色々な症状が出る、と私は考えています。2,3日前の記事で紹介した施設長さんのお話も、ベテルの当事者のお話もそれを裏付けるものでした。

光母子殺害事件のまだ若い加害者の死刑判決は正当だとする見方に、私が絶望する訳を少しかご理解いただけるでしょうか? 問題行動を起こす子共もまた被害者だからです。彼に死刑が妥当とされるまでの責任が有るとするなら、彼の両親、学校の教員、その他彼の周辺にいた大人たち、人々のそのような状況を余儀なくしている社会も、加害者(幇助?)として重く法的に罰せられるべきだ、と言いたいです。
何故彼だけがそこまでの責任を問われるのでしょう? 子供なりのSOSになす術なく無力だった社会全体の責任を、同じだけ重要に扱い、問わずして、「許し難い・死刑だ」なんて・・・、自分たちの責任を彼一人に負わせている・・・って叫びたいです。


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親子の問題-その2 [家族間の問題]

「親の心、子知らず」と親は嘆き、子供は「親はわかってくれない」と嘆く・・・それぞれからよく聞こえてくる声ですが、前々回紹介した「当事者研究」の事例は、親が子供の孤独と苦悩に気が付けない、気が付いていてもどうしたら良いのかわからないまま深刻な状態に発展したケースです。子供が暴力的だ、学校に行きたがらない、この頃成績が下がってきた、と感じた時に、その子供とどう向き合うのかは、その後の子供の成長に大きく影響します。

まずは、親も完璧ではないこと、間違うことを子供の前で素直に認めて下さい。それから、
どうぞ子供たちの心の声を聴いて上げてください。
共感して上げて下さい。
慰めて上げて下さい。
褒めてめて上げてください。
親とは別の人格として理解して上げて下さい。
怒鳴ったり、殴ったりしないで下さい。


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親子の問題‐その1 [家族間の問題]

今日は、まちの相談室さろんコスモスが企画した講演会でのお話をまとめてみました。
都内の児童養護施設で深刻な問題を抱えている子供達を迎え入れ、子供達の実情とその事情と背景をたくさん見てきた施設長さんのお話です。
 

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 ≪問題行動(大人から見て困った行動)を起こす子供達は、理不尽な扱いを受けて不安や怒りを心に貯め込んでいる。≫ 

子供は、悲しい、悔しい、虚しい、情けない・・・負の気持ちが芽生えた時に 
・聴いてもらうことがない
・理解されることがない
・共感してもらうことがない
・慰められることがない
・褒めてもらうことがない
・不当に怒鳴られる/
殴られる 

子供の心と体は不当な扱いを受けていることに正確に敏感に反応す、その気持ちが不安と怒りに変わる。ところが、  
・子供には、そのキャッチしているものが何なのか分らない。
・不安や怒りがどこから来るのか、何故なのかも分らない。
・その不快な何かをどうしたらいいのかも分らない。


「何が何だか、わけわからない・・・」でイライラが付きまといそのストレスが外に吐き出される。それが所謂、問題行動となる。
「問題行動をする子は、問題を抱えている子」・・・
(よく耳にするキャッチフレーズです。)
で、自分の今に・過去に・自分の誕生に自信を持てずに、自分はダメな子・存在価値の無い子と自らを評価する。

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「わけわからないし~・・・」 小学校でも、中学校でも、問題行動を起こす子供の“つぶやき”を何度か耳にしました。頭の整理がついていけないから、新しい知識を次から次へと供給する学校の授業の理解にも影響していると考えられます。子供は、大人が教えようとしなくても、ちゃんと総合的に理解しようとするものだと、感じています。それを阻んでいるのは・・・??? 


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娘の巣立ち [その他]

卒業式のシーズンですね。うちの娘も来週月曜日です。念願の袴での出席です。お陰さまで就職も決まり、卒業式のあとは巣立ちです。

出先で受ける、家にいる娘からのメールはいつも「今晩のご飯は?」・・・他にはないの?
近頃は忙しくなったこの母は食事作りは面倒で、ついつい、出来あいで済ませたり、外食に走ったり・・・。
段ボールに荷物をつめる娘の姿に、さすがに、寂しいかも~・・・。昨夜は、気合いを入れて好物のマーボー豆腐をスペシアル・バージョンで作ってあげました。
(娘が)そんな年なら、(晩御飯くらい)作らせたらいいじゃないの!・・・はい、そうなんですが、娘もさるもの、甘え上図で・・・。4月から一人暮らしを始める彼女が、ちゃんと食事を取るか心配ではあります。


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「べてるの家」当事者研究-2 [研究会/学会参加報告]

『当事者』と言うのは「深刻な問題を抱えている本人」の事で、べてるの家では、その自分の問題を研究している人を“専門家”と呼んでいます。ありのままの自分を認め、自分を取り戻そうと取り組んでいる“専門家”達のお話をまとめてみました。

     引きこもり.jpg 「 引きこもり15年の“専門家”」 
自分の弱さを他人に知られることが怖かった。それをひた隠しにしようとした。
 弱さを知られると、他人から軽蔑されたり、認めてもらえないのでは、と思い込んだ。 そして孤独に陥っていった。でも、話してみたら自分一人ではなかった。自分の弱さを認めたら楽になった。  

リストカット.gif 「リストカットの“専門家”」 「自分苛めが止まらない」症候群     
両親は二人とも超エリートで自分も常にトップだった。いつも親の顔色をうかがっていた。
親が求める正解を自分は必死になって求めていた。(親が思うようないい子じゃなければ)“見捨てられる”かも    という不安に陥った。 リストカットするのは人の気を引きたかったから。存在を認めてもらいたかったから。 怒る男の子.gif  

「家の洗濯機を5台壊した “専門家”」  
父親が酒乱で、兄には虐待された。
 『辛い』」とか『寂しい』とかの感情を表す言葉がいつのまにか自分の辞書から消えてしまった。『死ね』『殺す』くらいしか出てこなくなった。 この頃やっと『苦しい』とか言えるようになった。自分より弱いものに当たることで自分の弱さをごまかしていた。

他にも、
・  「劣等感スイッチ」の研究 
・ 「ハリネズミの親子症候群」の研究
・  「きっと理解してもらえないだろうな」「“こいつ、何言ってるんだろう?”と思われてるんじゃないか」の研究
・  「つながり失調症 孤立無援タイプ(一人ぼっちで寂しい、誰にも助けてもらえないと思い込むタイプ)」の研究
・  「言葉の一音一音に自分が責められているのではないか、という感覚」の苦労の研究
・  「緊張・アウェィ感→抑うつ→自閉(眠り込む)→引きこもる→昼夜逆転のサイクル」の研究・・・、などなど、
みなそれぞれに自分の症状に名前をつけて研究しているそうです。

 共通していたのは:
・親や友達、人とつながりたいのにうまくいかない辛さと孤独の苦しみ。
・その辛い、苦しい思いを親にわかってもらいたかった。           
・頑張っても褒めてもらえなくて空しかった。                 
・「辛い」「寂しい」とかの感情がわからなくなった。            
・自分に「ダメで価値の無い人間」のレッテルを貼っていた。        
・一人でもわかってくれる人がいることで救われる。               

                               でした。    

ベてるの家はこちら 


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「べてるの家」当事者研究-1 [研究会/学会参加報告]

統合失調症などに対応するべてる式「治療」の実践と理論は「当事者研究」と名づけられ、その経過報告/成果報告/研究会はものすごい勢いで受け入れられつつあります。ずっと気になっていた私も、先月やっと参加してきました。
主催者(べてる)は、参加者数について、80人の募集だけれども「正月明けで2,30人位かな~」と想定していたということでしたが、部屋は溢れるほど、心のケアー系のお仕事の人、「当事者」と思しき人、身内/近場にどなたかが・・・という人でいっぱいで100人以上の人がいました。
病気の苦労(問題)を抱えている「当事者」が自ら司会進行し、自分研究で得たことを話してくれるのですが、お話はどれもこれも誰の心にも響くもので、当事者のみならず参加者にとっても臨床の場となっていた、と思います。 

精神衛生とメディエーションの可能性について、メディエーションはどこまでできるか、の疑問・・・メディエーションの最前線に関わっていらっしゃる方は、大なり小なり実感していらっしゃるのではないでしょうか、少なくとも一方の当事者の心がかなり病み、本格的に病気になっている方も多い、ということを。 
まだ経験数の少ない私ではありますが、弁護士でも行政でもどうにもならない、人との関わりで発生する問題では、出口が見えないまま何年と月日が経ち、当事者さんの中には、あっちのカウンセリング、こっちの「○△相談」とハシゴして回り、何だかわからないけれど目新しい“メディエーション”にたどり着く、という方が多いと感じています。
kmkでは「相互理解」「コミュニケーションのお手伝いをします」とうたっていますので、「ここなら話を受け止めてもらえるかもしれない」「気持ちをわかってくれるかもしれない」と期待してのことかと思います。そのような当事者さんにメディエーターはどこまで関われるのか? 

ヒントは「当事者研究」にあり、です。 


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べてるの家-1 [草の根的メディエーションのつぼ]

「べてるの家」というのが北海道の浦河という所にあります。精神障害を持つ当事者と地域の有志によって1984年に開設されたとてもユニークな試みを実践している社会福祉法人です。
随分前ですが、三冊の本を紹介しようとして一冊で終わっていたのですが、2冊目は「べてるな人々」向谷地生良(ムカイヤチ・イクヨシ)著でした。この本と「べてるの家」を紹介しようと思ってから、もう1年以上経っていまして、その間にも、彼らはどんどん進化を続け、東京池袋にも拠点を持つまでに発展しています。現在は大学でも教えていらっしゃる著者の向谷地さんは当初からソーシャルワーカーとして関わっている方です。 

その本に、「統合失調症は、人間の持つ『五感』に変調を起してしまう病気である。その中で起こる幻聴は、当事者の日常にあっては、決して『幻』ではなく、『“現”聴-現実に聞こえている声』なのである。」「世界で唯一(?)の浦河名物『幻覚&妄想大会』で幻覚と妄想のユニークさを称え表彰する・・・」と書かれているように、 徹底した肯定姿勢を実践する彼らに、同じように「あるがままを良し」として肯定的な流れに持って行こうとするメディエーターの姿勢が重なります。 

控え目、謙遜、謙り・・・何かと否定的な姿勢を「美」としてきた日本文化の陰で、意図してか、それとも無意識なのか、力の強いものが、その力で、正義も真実も捻じ曲げる事が少なからずある社会実態の中で、自分をどんどん追いつめて、自分を肯定できなくなってしまった人々。
これまで関わってきた私の周りの人々や、相談者さんに向き合ってきた中で、自分をわかってもらいたいけれど、「わかってもらえない」・・・自分は「良く思われていない(白い目で見られている)」・・・「悪く言われている」・・・から、幻聴、妄想へと発展していく過程は容易に想像できます。
アメリカの統合失調症を扱った番組でさかんに「confusion:混乱」が出てきましたが、日本語字幕では「妄想」となっていました。 実際もめ事の深刻度と当事者さんの混乱度は比例しています。 
当事者さんに精神疾患がある場合はメデイエーションはできない(難しい)とされていますが、コミュニケーション障害から来るうつ病患者さんにはむしろ有効なのではと感じています。 さらに、メディエーターは当事者さんの混乱を整理するお手伝いをするものです。 何か問題が起きた時に早期対応できれば深刻な病気にならずに済むとも感じています。 

kmk的用語辞典:ミュニケーション障害。言えない/言わない/言わせてもらえない(cant speak/wont speak/not allowed to speak out

 


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APMF会議参加報告 その3 [2011APMFバンコク]

会議参加の収穫は、デール会長他メイン・メンバーとの距離が少し縮まったと感じたこと、メディエーターとして孤独を感じているのは私だけではなくて他にも結構いると知ったこと、同じアジア人同士通じるものがあると感じたこと、言葉や文化が違っても人の中身、「気心」とか「弱さ」とかはやっぱり同じだと再確認できたこと、です。 

インド人の熟練メディエーターとの出会いは貴重でした。日本とインドでは、「階級差による力の行使」や「年長男性がルールを支配し、周囲の人は是非に関係なく敬意を表し従う」は当たり前とする人々が多くいる、という点と、かなり封建的な社会背景が似ていると感じていました。彼の話を聴いて「そうですよね~」と大いに共感し、私の長年の課題の一つの答えが見つかるかもしれないと思い、質問してみました。

その課題とは、「権威主義傾向が強く、思考面での老齢化が進む高齢男性が当事者になっているケース」で、私はその男性とどう関わり、問題解決のためにはどうするのが良いのか・・・??? お手上げでした。
実際に私の「まずい一言」で関係を悪くし、いい考えが浮かばないまま三年越しの成り行きで結果が出て、なるほど、と納得したケースがありました。
彼は、その結果をもたらした成り行きと同じことをアドバイスしてくれました。因みにそのアドバイスを一言で言うなら「権威」には「権威」をです。押さえつけるという意味ではありません。納得してもらう筋道として、です。
 

アジア・アフリカの紛争地域で国連スタッフ、国際赤十字のスタッフとして働き、現在はスイスに在住し、フリーでpeace building project (平和構築プロジェクト)コンサルタントをしている女性の基調講演で、二つの発言が印象に残りました。
「何度も失敗した。」 「諦めないこと。」
以前、日本でも大先輩の「失敗の連続だよ」の言葉を聞いて、「そうなんだ。私がうまくいかなくて当然なんだ。」と納得して、俄然力が湧いたことがありました。失敗を怖れず果敢に取り組むことをせずして、プロのメディエーターにはなれない、ひたすら実践あるのみ。 うまくいかないとめげてなんかいられない、ということです。
(ケンタッキー・チキンのサンダースお爺さんはフランチャイズの店を出してもらうのに6XX回目・・・正確な数字は忘れました・・・にしてやっと受け入れてもらえたそうです。)  


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APMF会議参加報告 その2 [2011APMFバンコク]

メディエーションは多分野に及ぶので、基調講演以外は、分野別の分科会になります。特に今回は実務者会議となり、私は「家族の問題」グループで発表させてもらって、分科会ではそのグループに付きました。他の分野の話も聴きたいのに聴きに行けなかったのが、いつものことながら辛い。あっちもこっちもそっちも興味があります。分身の術を習得したい!
今後web siteを充実するとか、各分野の会議内容はそちらを参照くださいませ。(まだアップされていません。)

 「家族の問題」分科会:7人という極小グループでしたが、参加者は会長始め、熟練経験者ばかりで私には超ラッキーでした。自分の発表もあまり緊張せずにできましたし。家族の問題では、"大人の都合で子供に多大な影響が出る、それで又問題が複雑に深刻に発展する"背景と経過が共通していました。・・・何処も同じようです。"

私は、若い夫婦の協議離婚ケースに絡めて、日本での特徴的傾向として、「親が子離れできないことで子供の精神衛生にまで影響を及ぼす深刻な経過を取る・・・」と話ました。(“子離れできない”とはkmk的には“気がつかずに子どもの自我自立の芽生えを摘み取っている”という意味です。) 

私の師匠の一人でもあるオーストラリアからの発表者は、夫婦の離婚問題に絡み親も子供も気持ちがバラバラになっている家族のケースについて話してくれました。諸事情により「子供達が車で2時間かかる学校に通っている=通わせている=親は送り迎えしている=親にも子供達にも無理があり疲れ切った」ことが根底にあった、というケースでした。 


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