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緑の日:自然を大切に [草の根メディエーターの主張]

ニュージーランドに住んでいた時にこんなことがありました。雷雨だったか雪だったか、とにかく大都市であるオークランド市とどこか地方で広範囲で停電になったことがありました。それも長時間続いたので、電力に頼る都市生活は機能しなくなりました。電車は動かない、店は開らけない、食材を調理できない、お湯も沸かせない、電気で水を汲み上げ流す水洗トイレは使用できず、等々、人々の生活が完全に麻痺したオークランド都市部、それとは対象的に、田舎の家では庭で普通に焚火を燃やし、お肉(多分自分とこの羊?)を焼いてBBQ、もともと水道が来ていないのでお水は大きなタンクに雨水を貯めてある、ので何も困らないいつも通りの暮らし、とがニュースで報道されました。「物質文明の発展で便利になった人々の暮らし」について 真剣に考えるきっかけとなりました。

ニュージーランドから帰ってしばらくは生き苦しくて(息苦しくて)つらかったのですが、その生き苦しさは何だったのか・・・:私の個人的な感触ですが、NZでの日常での自然とのかかわりを“100”とするなら東京では“1”にも満たないかもしれません。都会では、物質だけの中で暮らしている人が大勢いることでしょう。都会じゃなくても、概して人々は「物質文明の発達」を手放しで歓迎し、人工的に作り出された「物」の方が価値あるものとして、敢えてお金をかけて追い求めてきたように思います。確かにその「物」のお陰で人々の暮らしは「便利」になりました。でも、「豊かになった」のか・・・というと、どうでしょう? 

自然は、自然界では手をかけなくても普通に再生を繰り返します。お金などは必要ありません。人間も生き物ですから、本来は自然界に属するのですが・・・。 子供を産めない/育てられない。ホームレスや自殺者、虐待・暴力、心を病む人々の増加は、お金と物質に頼る人間の不自然な暮らしへの警鐘のように思われます。 


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