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韓国の基地問題 [2006年APMFフィジー大会]

[AA研究2007年第1号に記載] 韓国からの参加者、キム・ジンホ(Kim Jin Ho)氏(斉州大学政治学科教授)およびカン・ビュンチョル(Kang Byung Cheol)氏(同大同学科博士課程院生)による報告「韓国における国家安全保障のためのメディエーションへの告別:ピョンテク(平澤)市における5月の銃剣(The Farewell to Mediation for the National Security in South Korea: The Guns of May in Pyeongtaek city)」 

 

韓国では、国民の安全保障を目的とする軍事同盟に基づいて置かれた米軍基地の移転用地の確保のために、暴力的な強制執行を続ける政府と、土地売却に同意せず抵抗を続ける農民との間で、深刻な紛争が起こっている。20065月には、政府側と農民および支援者側の双方に多数の負傷者の出る暴力的な衝突になった。反対派農民支援者の中には、反政府・反米を目的とするかのようなグループもあって、メディエーションどころか紛争は激化している。(注1)このような韓国のケースには、どのようなメディエーションの可能性があるのだろうか。キム氏は報告を、参加者へのこのような問いで締めくくったが、残念なことに時間の関係で議論の発展にはつながらなかった。

 

この韓国のケースは、国家的プロジェクトに関する暴力的な紛争という点では、死傷者を出す長期にわたる暴力的な衝突に発展した日本の成田空港建設をめぐる紛争、さらに米軍基地移転をめぐる紛争という意味では、戦後すぐの沖縄や砂川などの基地をめぐる紛争、さらに反対派住民と支援者側の非暴力抵抗戦術によって、暴力的な衝突には発展していない(政府側の強制排除によって支援者側に若干の負傷者は出ているが)最近の沖縄の普天間基地の辺野古移転問題を想起させる点で興味深い。

 

キム氏らの見通しは、1990年代以降の世界的な国際政治学・国際関係論の議論を摂取したものであり、次のようなものである。韓国政府は、現在採用している国家安全保障の概念に換えて、「人間の安全保障」の概念を採用し、「グッド・ガバナンス」の確立に努めるべきである。そのような政府の側の姿勢の転換が、話し合いによる解決の前提になるはずだ、と。しかしながら、このような一般的な分析だけでは、現在進行形の暴力的事態を前に無力であることは、報告者らも自覚しており、そのことが、メディエーション研究の分野への接近と、大会での報告につながったものと思われる。

 

会場での公式の議論にはならなかったものの、前述の太平洋の紛争地域の女性団体の活動などと対比してみるならば、メディエーションを行う主体の形成(反対農民の側の女性たちや、強制執行部隊の家族の女性たち、あるいは、強制収用該当区域周辺住民たち、あるいは、民主化運動の伝統の中で生まれてきた非暴力的な問題解決を求める市民グループなどの可能性があるかもしれない)、メディアあるいは公共圏の役割(すべての関係者の多様な意見を伝え、議論の展開を促し、コミュニケーションを深める場となりえているか、あるいはステレオタイプの流布や市民の関心を萎えさせるような場となっていないか、といった問題)など、報告者らの実践的な関心にとっても役立ちそうな論点が浮かび上がってきたかもしれない。基地問題は、国際的な敵対関係の問題とも直接にリンクしてくる問題であり、半島の南北問題を抱える韓国で今後実践的試みとともにメディエーション研究が発展するならば、豊かな成果が期待できるかもしれない。

 

(注1)キム氏によれば、問題の発端は、韓国と米国の共同軍事作戦計画OPLAN(operation plan)5027にある。それは、朝鮮戦争終結時、停戦協定を踏まえて、当初、北朝鮮の侵略を防ぐという名目で始められたが、1980年代半ばに北朝鮮占領を視野に入れ、1994年に有事の際の反撃と北朝鮮武力占領・統一、1998年には先制攻撃、そして2000年には米軍の大幅拡張が計画に加えられた。

 

 その結果、韓国政府はソウル市内のヨンサン(滝山)基地やその他の中小米軍基地を統廃合し、韓国北西部のキョンギド(京畿道)ピョンテク(平澤)市に移転することを計画、200412月、米軍のハンフリィ基地(Camp Humphrey)にさらに2851エーカーの土地を提供すると発表。200512月、政府は予定地となっているピョンテクの村を差し押さえて封鎖することを許可し、村民の居住は違法となった。それに対し、予定地の農民は、強く反対した。住民からは、2004年に締結された米軍基地の移転に関する韓国と米軍の協定は違憲であるとする申し立てが行われたが、20062月、憲法裁判所は却下。3月、農民ら移転反対派と機動隊がもみ合うかたわらで国防省の作業員が重機を使い水田の畦にセメントを流し入れた。農民の大半は転出したが、残る反対派は農作業を続行、茎が4~5センチ以上に成長した水田で政府側が敗訴したケースに倣い、稲の作付け作戦で対抗。政府は、土地は国の所有地であり事前に通知したのだから今回は当てはまらないと主張、田植えを阻止しようとしたが、失敗。5月初旬、政府は土地売却を拒む反対派住民との対話をいったん打ち切り、軍と機動隊を動員し予定地に立てこもる反対派を強制排除したことから対立が激化。さらに、予定地内にあり反対派の本部となっていたデンチュリ小学校に集まった多数の農民や反対派市民団体や学生を約12000人の機動隊が強制排除、多くの反対派が連行され、双方に多数の負傷者が出た。 政府側は約3000人の機動隊を動員し、2000人の技術・歩兵師団と700人の民間警備員を集め予定地周辺に鉄条網によるフェンスを張り巡らせ、一般の出入りを規制した。それ以後も政府と反対派との衝突が繰り返されている。

 予定地に住む680家族に代替地が割り当てられたが、69人が転出を拒否している。多くは高年齢で移住は簡単なことではないが、政府案に妥協しなければ力ずくで追い出されることになる。土地は、国防省の「所有地」から「軍事用地(military security zone)」となり、国防省の反対派排除協力要請を始めは拒否していたキョンギドの警察も協力せねばならなくなった。立ち退きを拒否して農作業を続ける農民は不法侵入者として軍法会議の対象となりうる。2008年末の移転終了までにさらに3倍の数の農民が立ち退きを余儀なくされる。政府はプロジェクトを続行、賠償金についてのみ話し合いに応じるといい、反対派はあくまでもプロジェクトの撤廃を要求している。

キム氏は、このような暴力的紛争になった原因として、次のように言う。韓国政府については、「政府は平和的に予定地の住民の合意を得る努力を怠った。移転先をどこにするのか、環境問題や雇用問題も関わるのだから、全国民に向けて事前に充分な公聴会をするべきだった。転出のための補償額を住民に提示したが、その額は価値が低い干出平底地をさらに低く評価したもので、高齢で貧しい住民が出直して生活していけるものではなかった。また、和解工作は体裁のみで、機動隊は、誰かれなく連行し、負傷した老人のための救急車の要請を無視するなど、非人道的な扱いや人権侵害行為があったことはアムネスティ・インターナショナルも指摘している。」さらにアメリカ政府についても、「アメリカは民主主義を韓国民に呼びかけておきながら、韓国社会の声に耳を傾けることをしなかった」とする。一方、反対派側については、「一部過激派による執拗な暴力行為があり、農民側につく学生、市民活動家たち反対派の多くは予定地に住む住民ではなく反米・反戦活動家集団で、農民の権利のために戦っているというより、保守政府との争いの場に利用している」ためだとする。

 このような原因の分析から、氏は、問題解決のために、「政府は反米活動家など部外者との問題を切り離して拒否農民の実状を考え誠実に話し合うべきである。また反対運動支援の部外者は彼ら農民たちの権利を侵害してはならない。」としている。
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